たかぱん

 怠らず

びっくり聖書解釈

 教会のモットーの一つによく挙げられるものとして、「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい」という聖書の言葉があります。
 霊に燃えるというのは、クリスチャンにとっては解説の要らない言葉だと言えましょう。主に仕えるというのも、いろいろ具体的には意見の分かれるところかもしれませんが、何を言おうとしているかということについては、イメージ的にも差異はないとすべきでしょう。
 問題は、怠らない、という意味のところです。怠けずに奉仕しろ、というふうに、役員のほうが言うと、これは愛には聞こえない言葉と言われるかもしれません。
 マタイは例のタラントの喩えの箇所で、一タラントの金を地中に隠していた僕に対して、神である主人が憤る場面で、同じ言葉を使ってこう言っています。「怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか」(マタイ25:26)
 地中に隠して、投資をしなかったことは、たしかに、怠け者だと言わる可能性を有していると言えることでしょう。しかし、それだと後半の言葉がぴたっと合いません。
 この「怠ける」という言葉は、「臆病な」という意味を含む言葉だそうです。これは怠惰でだらだらしているという怠け方ではなく、びくびくして何も手につかないような怠け方であるというのです。そうすると、このマタイの節の後半もうなずけます。主人をびびっているばかりで、おろおろどうしてよいか分からないような態度です。シャイ過ぎる姿勢です。
 だとすれば、ローマ書でパウロが言うにしろ、「怠るな」という命令は、「恐れるな」に近いということが分かります。びくびくして神を裁きの神だとしてびびるばかりで何も手につかないような生き方をするな、というわけです。律法の神として怒りの神をイメージしてびびることはせずに、主は私たちの友となられたことを、心で受けとめて支えとしていきたいものです。



怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
(ローマの信徒への手紙12:11,新共同訳聖書-日本聖書協会)



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