たかぱん

  したほうがよいかな、と思ったら

びっくり聖書解釈

 某ファストフード店の三階席で私が一人いて食べ終わりかけたころ、ふと気がつくと、近くの席の床を、若い男性が、ごしごしとこすっていました。トレイ返却棚に置いてある紙ナプキンを二、三枚掴んでいます。見かけはその辺のカルそうな男の子(二十歳くらいの子をそう呼ぶのは失礼かな)だったので、私は感心しました。女の子のほうも、どうしようといったふうで、それを見守っています。
 どうも、トレイを抱えた男の子がよろめいて、ジュースを一つ倒してしまったようです。中のグレープジュースが全部こぼれていました。
 ドジだねといったふうで、男の子はカップに残った氷だけをかじっていました。店員はふつう三階には上がっていきません。私は一階に降りて店を出るとき、彼らのことを店員に言わなければ、と思いました。床を汚したことを言いつけにいくのではありません。私が店なら、新しいジュースを提供すべきだと考えたからです。
 しかし、ちょうど昼時で、一階はごった返すような忙しさ。声をかけられるような店員は一人もいません。私もあまりゆっくりできないし、このまま何も言わないでも、べつにあの男女もとくに不満をもつような感じではなかったし、お節介などしなくて済むのかもしれません。私は、不自然に店の入り口近くで中をちらちら見ながら立っていました。
 でも、こぼしても「ばかだね」という感じの男の子と、それを優しく見守る女の子の姿が忘れられなくて、私はまだ店の中を覗いていました。そこへ、ようやく店員が一人気づいたのです。
 私は、近寄って声をかけました。――三階で、ジュースを飲む前にこぼしてしまったお客さんがいます。自分たちで床を拭いていましたよ。新しいジュースを差し上げたらどうでしょう。
 店員は、笑顔で、知らせてくれたことに応えて階段を上がっていきました。
 やっぱり、言ってみてよかったと思いました。



何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。
いつかは行かなければならないあの陰府には
仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ。
(コヘレトの言葉9:10/新共同訳-日本聖書協会)

Takapan
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