たかぱん

 絶望から見える確かな希望

びっくり聖書解釈

 イスラエルの民は、荒野で神の導きに従い抜くことができませんでした。
 かのモーセでさえ、目指すカナンの地に入ることを許されなかったのです。不平を神にぶつけた民はなおさらのことでした。
 それは、罰でしかなかったのでしょうか。民は、もう神に従うのを止めてしまいたくなかったのでしょうか。
 しかし、よく聞くと、「二十歳以上の者」は入れないと神は告げています。ということは、それより若い世代の者は入れるということです。子孫は祝福されてその地に入るという、希望の約束が、そこにあったのです。
 たとえ自分はできなくても、子ども、孫はその希望が実現するというのです。これはなんという恵みでしょう。
 私たちの不安や苦しみは時に、自分の子孫が不幸になるということではなかったでしょうか。そこに希望が約束されているということは、むしろ喜ばしい神からの声として受け止められることだって、できるのです。
 だから、イスラエルの民は、神に従い直したのです。



お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れるであろう。わたしに対して不平を言った者、つまり戸籍に登録をされた二十歳以上の者はだれ一人、わたしが手を挙げて誓い、あなたたちを住まわせると言った土地に入ることはない。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別だ。お前たちは、子供たちが奪われると言ったが、わたしは彼らを導き入れ、彼らは、お前たちの拒んだ土地を知るようになる。」
(民数記14:29-31,新共同訳聖書-日本聖書協会)



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