たかぱん

 戦争反対

びっくり聖書解釈

 右か左かと尋ねられても、私は困ります。右往左往しています。
 見た目には、戦争反対を唱える立場だと言えますし、国家主義的な考えには賛同できない部分が多いのは確かです。
 それゆえに、戦争がすべて悪である、と断じることもできない弱気な部分をもまたもっています。国のために命を投げ出してよい、とする人々によって、まさにこの私が守られているからです。命を張って殺人者から守ってくれる警察がある以上、その警察を軽んじることは、私にはできません。命を張って侵入者と銃撃戦を行う海上保安庁の隊員を見下すような真似は、私にはできません。
 現実は、理想通りには展開しないから、理想に外れたものを悪だと認定し去るようなことが、できないのです。
 世界の国々には、日々戦っていなければ、今日の生活が継続できないところもあります。憎しみをもつな、戦争はいけない、などと、蚊帳の外の私たちが告げるのは、「パンがなければケーキを食べればよいではないか」と口にしたという――これは創作話らしいが――フランスの王妃のような発言であるに違いないと感じます。
 戦争を積極的に支持しようとするつもりも、もちろん私にはありません。それほどの勇気も、ないのです。ただ、できるなら戦争などないほうがいい、という願いを口にすることくらいしか、できないでいます。
 どちらかにしろ、と言われても困ります。私は右往左往しています。
 そして、その解決方法は、人間の中にはたぶん見つかることはないのだろう、とも思っています。見つかるのであれば、とうに実現しているのでしょうから。



平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
(マタイによる福音書5:9/新共同訳-日本聖書協会)

Takapan
びっくり聖書解釈にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system