たかぱん

 幸い

びっくり聖書解釈

 風邪が流行る冬の季節、小学校の学級だよりに、「幸いにして体調をくずして欠席する子も少なく……」と書いてありました。けちをつけるわけではないのですが、これでは、気の毒です。
 この文からすると、そのようにして欠席した子は皆無ではなくて、少しはいたようです。その子は、この文をどのような気持ちで読むでしょうか。「幸い」と書いてあるのです。でも自分は幸いではなかったのだ、と叫びたくなるか、見捨てられたような、がっかりした気持ちになるのではないでしょうか。
 有名な八つの幸福がマタイの福音書に並んでいます。イエスさまはここで、「幸いである」と断言しています。幸いでない人は少なく……でなく、ずばり「幸い」と言い切っています。制限付きの「幸い」でもないし、括弧付けの「幸い」でもありません。「幸い」といったら「幸い」であり、ほかのものは入り込む余地がないのです。
 そのことをかみしめて、もう一度、八福を味わってみませんか。



心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
(マタイによる福音書5:3-10/新共同訳-日本聖書協会)

Takapan
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