たかぱん

  これはあなたのためなのよ

びっくり聖書解釈

「あなたのためを思って、こう言っているのよ」
「ちがうだろ。自分のためじゃないのか」
 この会話、いろいろな場面に使えそうだと思いませんか。子どもに勉強をさせようとする親の姿……、自分のカラに閉じこもろうとする友人に対して……、夫にたばこを止めさせようとする妻……。
 善かれと思ってすることが、相手にとって迷惑だ、という図式もそうですが、ときにそれは、相手のためではなく、自分が相手をそのように動かしたいゆえに、という場合があります。さらに言えば、相手のためでは全然なく、もっぱら自分にとって都合がいいから相手に命ずる、ということも。
 そしてたいていは、そうと気づかずにやっている、という点が怖いように思います。
 逆に、自分はいつもだめだ、と落ち込んでいる人が、実は人のためになっている、ということもあります。そしてそれは、自分ではそうとは気づかないのです。気づかないからこそ、人のためになっている、と言えるかもしれません。
 自分の眼で、自分の行いを評価することは困難です。この聖書の言葉を掲げて、靴屋のマルチンの物語を書いたトルストイの例にもあるように、自分の行いにおぼれないところにこそ、神の祝福があるのではないでしょうか。



主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、
のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
(マタイによる福音書25:37/新共同訳-日本聖書協会)

Takapan
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