たかぱん

 赤ちゃんが心配な兄ちゃん

びっくり聖書解釈

 夜、車に乗って帰るときに、赤ちゃんが泣き出しました。
 チャイルドシートには、乗り慣れています。生まれてこのかた、チャイルドシートなしで車に乗ったことはありません。ですが、何か機嫌が悪いときというのはあるものです。わんわん泣き始め、パニックになってしまいました。あと20分ほど走らなければ、家に帰り着くことはできません。
 となりに、お兄ちゃんが座っていました。歌を歌ったりしてあやすのですが、泣き止みません。「車を停めて、だっこしたらいいんじゃない?」と提案しました。しかしお母さんは、「だっこしたら、またチャイルドシートに置いたときによけい泣くから、だめ」と答えました。
 それもそうだと思いながらも、お兄ちゃんは、気が気でなりません。お母さんは、どこか痛いので泣いているのではないか、だけ気をつけておくように指示しました。それは大丈夫のようです。でも、なんとかして泣かないで済むようにと願うのでした。――赤ちゃん本人は、何も分からないかもしれないけれども、こっちは心配なんだからな。  まだ小学生の兄ちゃんでさえ、こうなのです。
 まして、神さまは、何も分からず悩んだり困ったり、あるいは自分のしていることが分からなかったりしている人間を見て、どんなに心を痛めていることでしょう。



神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。
(マタイによる福音書24:22/新共同訳-日本聖書協会)

Takapan
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