たかぱん

 愛に鈍感

びっくり聖書解釈

 当然のようにごはんがあって、当然のことのように学校へ行けて、当然の権利として小遣いがもらえて……そんな子ども時代の自分の立場というものが、親になって初めて理解できるようになってきました。
 親という立場も板に付いてくると、いちいち子どものために何をしてやったなどという意識はもちませんが、時として、まったく感謝も覚えず自分の言い分ばかり主張する子どもの姿に、「親がどれだけ……」という思いが脳裡を走ることは、たしかにあります。
 自分が子どものとき、どれだけ大きな愛や犠牲を受けてきたか、残念ながらそのときには気づかないものです。太陽の光からどれだけぬくもりと命を受けているのか、森の木々からどれだけ清い空気をもらっているのか、小さな虫たちからどれだけ人間の命が支えられているのか――気づきたくなくて、自分の目先の利益のために自然を潰していく人間の姿は、確実に私も含めてのことでしょう。
 まして、神さまがしてくださったことに対して、悲しいくらい鈍感な姿は……。



わたしはあなたたちを愛してきたと
主は言われる。
しかし、あなたたちは言う。
どのように愛を示してくださったのか、と。
(マラキ1:2/新共同訳-日本聖書協会)

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