たかぱん

 神は弱さと共にいます

びっくり聖書解釈

「神は、私の願いを聞き入れて下さらなかった」
 私のわがままから願ったのではない。私にどうしてもこのことだけを、と私自身が変われるように祈っていたのに、ひどい結果となった。
 もう、聖書も読みたくない。
 もう、お祈りなんか、しない。
 
 …………………………
 
 すると、――これまで感じたことのないような気持ちだが――これまでまるで感じたことのない感覚が全身を襲った。もう神の前に模範生でなんぞあるもんか、というふうに皆が試し始めたところ、絶望的な私の肩を、何者かが包んだように感じた。ぼやけていた視界がくっきりするようにもなりました。
 イエスさまが、私の肩をそっと抱き寄せてくださったのです。こんなに近いところに神さまがいらっしゃるなんてことは、初めての体験かもしれません。
 神さまに逆らい、もう聖書も読むものか、と意地を張ったような態度の中に、神は眼差しを送り、手助けをしてくださっていたのです。
 逆に、神さまの声が聞こえないという状態は、自分が何でもできているという自負を背景に生まれます。
 まるで、教育のパラドクスを突くような問題提起であると思います。



自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。 わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
(ルカによる福音書18:9-14/新共同訳-日本聖書協会)

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