たかぱん

  よい子

びっくり聖書解釈

 聖書は命じます。「聖なる者となりなさい」と。
 それは無理です、と言いたくなります。ただでさえ、教会という場所は敷居が高く、そこにいる人は皆清く敬虔で天使のような人たちばかりのように見られているかもしれないのです。そのように理想的な人間になれ、と聖書が記しているとなると、ますます、そんなことできるわけないやん、と言いたくなります。
 命令文は、気をつけて読まなければなりません。子どもたちに対して、親や教師が命令をすることが多いのは仕方のないことですが、そのとき、はたしてそれを100%完全に守れ、と言い渡しているかどうか、考えてみましょう。
「兄弟ゲンカはもうしなさんな」
 こう命じたっきり、二度とケンカがなかったとしたら……どこか気持ち悪いですね。親も、たぶんそんなつもりで言ったのではありません。
 では、神さまも、そういう意味での命令をなさったのでしょうか。――私は違うと思います。
 こんなふうに子どもたちに言うことがあります。「あなたはこんなことをする子ではありません。ほんとうはよい子なのですから、これから気をつけなさい」と。
 そう言われると、ただ無闇に怒鳴り叱られるよりは、「よし、やろう」という気になって、子どもは立ち上がっていきます。おまえはだめな奴だ、と植え付けられたとしたら、子どもは逃げ場がなくなってしまいます。
 神さまも、「あなたはよい子なのだ」と言ってくださっているようです。「よい子」を「聖なる者」と表現しているので、少し分かりにくいかもしれませんけれど。
 神さまも、ご自分のことを「聖なる者」と呼んでいます。それは、神さまご自身が、「よい」ということのお手本であることを示しているのでしょうね。



あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。
(レビ記19:2/新共同訳-日本聖書協会)

Takapan
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