たかぱん

 あなたを忘れない

びっくり聖書解釈

 遠藤周作氏は、キリスト教徒でした。しかし、プロテスタント教会には受けが良くありません。母なる神を強調したり、自分は洗礼を受けさせられたようなことを言い続けたりするカトリックの人だからでしょうか。
 しかし、人生への眼差しには、たしかに深いものがあります。
 新装された『自分をどう愛するか』(青春出版社)によると、一番好きな言葉として、ジャン・コクトーの逸話が載せられていました。コクトーがカトリックに入る前、神父に、自分がちゃらんぽらんなのをどうしたらいいか、と訊いたとき、神父は笑って、「そのままで生きたらいい。君が神さまを問題にしなくても、神さまは君を問題にしている」と答えた、というのです。  神さまは、君を忘れることがない、と聖書にも記してあります。
「忘れる」という動詞は、現在進行形にはなりません。「今、忘れつつある最中だ」というのは通常不可能です。
 コンピュータは、ご存じのとおり、1か0かのどちらかの信号でデジタル処理をしています。あるかないかのどちらかであって、データが消えつつある最中だということはありません。忘れてしまっているか忘れていないかというのは、そういうものでしょう。忘れていたのを思い出した、というのも、実は忘れていないからであって、意識していなかった、という程度のことです。
 神さまは、忘れていないというのです。



わたしがあなたを忘れることは決してない。
見よ、わたしはあなたを
わたしの手のひらに刻みつける。
(イザヤ49:15-16/新共同訳-日本聖書協会)

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