たかぱん

 隠されている希望

びっくり聖書解釈

「もう、夢も希望もない」
 そんなことを言いたくなることもあります。望みが絶たれるので絶望といいます。「絶望した」と口にする場合、もしかするとまだ希望があるということもあります。そう口にすることによって、一つのものを振り捨てて次へ向かおうとするなら、まだよいのです。困るのは、自分が絶望していることにさえ気づいていない場合。なんとなく、閉塞感があるからといって、大した考えを巡らすことなく終末を選んでしまうとなると……。
 以前、懸命(!)に、自分が自殺する意味を問い続け、議論をしたためた末、死んでいった友がいました。もちろんそれが推奨されるわけではありませんが、インターネットで一緒に死んでくれる仲間を捜して集まるというような輩とはひと味違いました。
 今、自分が見えているものがすべてではない。自分が、神のすべてを熟知しているわけではない。この簡単な真理が、私たちをまた今日も歩きだすようにしてくれます。
 苦しんだヨブと、それを取り巻く人々の、極めて人間臭い議論の中にある、美しい言葉。



今、光は見えないが
それは雲のかなたで輝いている。
(ヨブ記37:21/新共同訳-日本聖書協会)

Takapan
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