たかぱん

 高いところにいる者は

びっくり聖書解釈

 教師には、生徒と同じ立場に立とうという考えに走る誘惑があります。生徒と同じ高さまで降りてゆけば、生徒も心開いてくれるのではないか、と考えたり、友だちのような先生が理想だ、と考えたりするのです。
 でも、それは間違っています。
 高い立場にいる者は、しょせん、低い立場にはなることができないのです。上司がそのような、自分では謙遜なよい行為だと勘違いして部下に接するから、そこにセクシャルハラスメント、いわゆるセクハラが生じます。無礼講などと口走るのは決まって地位の高い者です。そんな場では、下の立場の者は本音がぶつけられるはずはないのです。
 あなたの雇用の権限をもっている人物があなたの目の前で、「なんでも私に対する不満を言ってごらん」と言ったとしたら、あなたは正直に不満が言えますか? 
 人間同士では、高い立場の者が低い立場にまで降りていく、ということは無理な話です。遠山の金さんも水戸黄門も暴れん坊将軍も、人々を騙すようにして身なりを替えなければ、庶民の中へは入れなかったのです。
 ところが、キリストは、騙すようにすることなく、それをなさいました。むしろ、人間のほうが、それを拒んだのでした。キリストは、完全に、高い立場から低い立場になりきることができたのです。「神が人となる」という、およそ真似のできないことを実現して。
 私たちは、口にすることに慣れっこになっています。「神が人となられた」と。しかし、もう一度この言葉、いやこの事実の重みに、少しく思いを馳せてみませんか。



キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。
(ヘブライ人への手紙5:8/新共同訳-日本聖書協会)

Takapan
びっくり聖書解釈にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system