たかぱん

  コンプレックス

びっくり聖書解釈

 資格もないし、境遇も恵まれていない。自分は人と比べると、なんてダメな人間なんだろう。
 そんな思いは、たとえばあのキリスト教史最高の伝道者、パウロには無縁のことだと思われるかもしれません。でも、たぶんパウロは、そうしたコンプレックスの塊でした。
 人としてのイエスに一度も会ったことがなく、しかも最初はキリストの弟子たちを迫害する先頭に立っていたパウロ。ユダヤ人からは命を狙われるということもあって、外国に伝道することを続けますが、内心、ユダヤ地方でどっかと腰を下ろすイエスの愛弟子、そのリーダーのペテロには、コンプレックスを抱いていたに違いありません。
 パウロの手紙や記録の中には、幾度となく、ペテロの悪口が書いてありますし、正面から衝突したことさえ記されています。
 教会学校に行ったこともなく、成人するまで教会を知らず、突然聖書の言葉に救われたたかぱんも、このパウロにいくらか似ているところがあるかもしれません。180度人生観が変わったために、当初たいへんな理想主義に走るのです。教会生活の長いペテロが、多少は原則を曲げてでも、人の目を気にして人をうまく調和させて人をまとめていくのを見ると、我慢できなかった気持ちが、あるような気がします。
 人がどういう過去をもっており、どういう立場にあろうとも、それは、自分にとってはどうでもいいこと……パウロの寂しさの裏返しのように聞こえるこの言葉が、たかぱんは好きです。  



この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、
それは、わたしにはどうでもよいことです。
神は人を分け隔てなさいません。
(ガラテヤの信徒への手紙2:6/新共同訳-日本聖書協会)

Takapan
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