たかぱん

 ダビデは殺さなかった

びっくり聖書解釈

 ダビデ王が、息子アブサロムに追われて都落ちをしたとき、シムイという男が現れ、石を投げてダビデを非難しました。ダビデがこれまで血を流した報いだ、と。ダビデの部下のアビシャイが、怒ってシムイを殺しましょうかと王に迫ると、ダビデは、そうせずにほうっておけと命じました。
 生き物の営みには、原理があるように思えます。「いのちを守る」という原理です。戦うにしても、誰かのいのちを守るためです。細胞の自死でさえ、それによって他の細胞のいのちを守ることになるのです。人間のなすべきことも、結局ここにしかないのかもしれません。
 しかし、人間だけが――そう、人間だけが、いのちを守ることとは逆のことに、のめりこんでいく。目先の欲望や楽しみのために、自分や他人のいのちを奪うようなことをやめることができない……。
 ダビデは、むやみにいのちを取ることを、よしとしませんでした。自分の名誉を守るため、自分が生きるために相手を殺すという場合はあるにせよ、ここではそれに該当しないと判断したのです。
 おそらく、バト・シェバとの不倫とその夫ウリヤの殺害の一件で、ダビデは、自分がいかに罪深いかを痛感したのでしょう。自らの罪を知るがゆえに、いのちの大切さを証明することができたのかもしれません。



勝手にさせておけ。主のご命令で呪っているのだ。主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。
(サムエル記下16:11-12/新共同訳-日本聖書協会)

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