たかぱん

 返事をしなくなった

びっくり聖書解釈

 受付の仕事をしている人が言っていました。「○○さん」と呼んでも、返事をしないので、いるのかいないのか分からない、と。
 役所でも病院でも、名前を呼ばれたときに「はい」と、以前はもっと返事の声があがったものです。最近は、たしかに減ったような気がします。
 日本医師会のテレビコマーシャルでも、名前を呼ばれて返事をせずすうっと立ち上がる親子(それは当然のことで微笑ましいというシチュエーションで描かれていた)の映像がありました。
 窓口で名前を呼ぶことが、プライバシーの問題と関わる……という件については、ここではとやかく言わないことにします。名前を呼ばれて、それに応答しない、という傾向、どうですか。思い当たるふしはありませんか。
 教室でも、返事をしない子どもがいます。いないのか、と目で探すと、その子と目が合う。するとまるで、「ぼくはここにいるじゃないか。どうして分からないのだ?」とでも言いたげな目でこちらを見る。そんな出席確認の風景さえ、珍しいことではありません。
 神さまは、人格的な存在だといいます。あなたの名を呼び、あなたが応えるのを待っておられます。それは、三千年前の少年サムエルに対しても、同じでした。サムエル記上(または第一サムエル記)の3章を、機会があればお目通しください。



主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕(しもべ)は聞いております。」
(サムエル記上3:10/新共同訳-日本聖書協会)

Takapan
びっくり聖書解釈にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system