エリコ

2018年10月7日

エリコは、古代遺跡としても発掘された確実に実在した町であり、しかも史上最古の部類に属する都市としても知られています。
 
奴隷状態から逃れてエジプトを脱出したイスラエル民族は、40年にわたって荒野をさまよい、神が与えると約束したカナンの地を目指して旅してきました。その先頭に立つのはモーセ。しかし、神はモーセにその地を踏ませることを許しませんでした。モーセと雖も、不信仰の心が試されたというのですから、傍から見れば残酷ではあります。
 
カナンの地、パレスチナ、いまのイスラエルのある地ですが、イスラエルの民は東側から、ヨルダン川のところまで来ました。モーセの後継者は、ヨシュア。モーセの従者でしたから、モーセの心を誰よりも理解していました。また、偵察者として活躍し、ぶどうの房を持ち帰り、敵に怯まず攻めることをカレブと共に提言したため、ヨシュアとカレブの二人が、特別に祝福されたことが聖書に記されています。
 
目の前にエリコの城壁が聳えます。古代当地の町というのは、城壁に囲まれた町でした。聖書に出て来る「町」はしばしばそうなので、イメージしておきましょう。外敵から守るためには、町をしっかりと囲んで保護しておく必要があったのです。出入り口には門があり、そのため記事の中になんとかの門という名前が多く出てきます。門のところで市が開かれたり、裁判や話し合いが行われたりします。行商人が通り、安息日に出入りするななどと命じられたりします。もちろんエルサレムも城壁の町でした。
 
エリコの発掘は、20世紀初頭からから行われるようになりました。壊された城壁が見つかり、これぞヨシュアの時に壊れたものだと色めき立ったのですが、もっと古い時代の跡であることが分かりました。それくらい古い歴史をもつ町だったのです。第二次世界大戦前の発掘では、また別の城壁が発見されたため、今度こそヨシュアの記事のものだと思われたのですが、これもまた時代が古いことが判明しました。紀元前2500年の頃だというのです。
 
戦後の発掘で、西アジアで最も古い町だということが確証されましたが、ヨシュア記の記事との結びつきは確定されませんでした。エリコの町は紀元前1550年頃に破壊され、以後200年間は人が住んだ気配がないというのです。その後は貧相な町として再建されたに過ぎないと見られています。町の壊滅はエジプト軍の攻撃による場合もあったでしょうし、地震のせいかもしれません。
 
ヨシュア記では、エリコの攻略の後、アイという町を攻めています。こちらも遺跡が発掘されましたが、紀元前2400年頃から紀元前1220年頃までは廃墟であったようだと見られました。こうして、エリコとアイについてのヨシュア記の記事は、考古学的にはそのままには裏付けされないこととなりました。が、だから聖書の記事がまるで嘘だということにもならないでしょう。結局イスラエル民族は、このエリコを通って入植したのですし、たとえば滅んだその町の廃墟を見て、これは神がなしたのだという理解をして物語ったのだとすれば、それは信仰の歴史を確実に刻んだことにもなるでしょう。神に導かれて歩んできたイスラエルの民の歴史が確かに描かれていると言えるのです。
 
エリコは古くから「なつめやし(棕櫚)の町」などと呼ばれ、オアシスがあったことで栄えたと言われています。紀元前8000年頃から、洪水を防ぐための措置がとられるなど人の文化があったようです。死海の北西部にあり、世界で最も標高の低い(マイナス250m)都市です。現在2万人ほどの人が暮らしているエリコの町からは少しだけ離れたところではないかとも言われていますが、ここからエルサレムへは比較的近く、あの「サマリヤ人の譬え」は、エルサレムからエリコへ下る道での出来事だとして語られました。ザアカイの物語もここを舞台としています。
 
なお、ヨシュアはこのエリコに呪いをかけました。もしこの町を再建する者がいたら呪われる、と。それでエリコは再建されることがなかったというのですが、後に再建したヒエルは、その呪いの通りに子を失うこととなったと記録されています(列王記上16:34)。しかし、後に捕囚期に崩壊したエルサレムを再建するにあたり、エリコの人々が手伝ったという記事もあります(ネヘミヤ3:2)。
 
このヨシュアというヘブル名は、ギリシア語に音訳したときに「イエス」となります。カタカナでこのように聞くと分かりにくいのですが、「イェホシュア」という「神は救い」のような意味に聞こえる語が、ギリシア語音で「イェースース」のようになったのです(最後の「ース」は活用語尾として通常切り取られて日本語のカタカナになる)。新約聖書では、「ヨシュア」を指す場合でも、表記は「イェースース」となっていますが、まず混同することはありません。よくある名前だったとはいえ、重ねて考えてみることは悪くないかもしれませんね。
 
※参考資料『目で見る聖書の時代』(月本昭男・日本基督教団出版局1994)



沈黙の声にもどります       トップページにもどります






 
inserted by FC2 system