「遊星より愛をこめて」スペル星人 〜差別か否か〜

2017年7月12日


7月12日。この数字の並び方に、ウルトラセブンの第12話を思い起こす人もいらっしゃることでしょう(マニアックかもしれませんが)。
 
ウルトラセブンの中で、唯一永久欠番となっている物語です。これはシリーズを集めたDVDその他あらゆるメディアから削除され、公開されることはありません。
 
50年前の放映当時は、問題にはなりませんでした。再放送もされました。が、三年後に「ひばくせい人」と紹介されたことから問題視されるようになり、原爆の被爆者を差別する扱いをしているという声が高まったのでした。これにより、この第12話は封印されることとなり、二度と表に出ることがなくなったのでした。
 
関心をお持ちになった方は、ぜひネット検索してみてください。熱いファンの声がどっさりと集まります。運がよければ、この幻の物語を見ることができるかもしれません(画質はそうとうに悪いですが)。
 
当時の抗議の是非についての議論もあるかと思いますが、いまは差別的な結果をもたらしかねないメディアは極力現れないようになっています。これを言葉狩りと称して、表現の自由との問題かから論ずることも時々目立ちます。
 
いまなお讃美歌の中にいわゆる差別語を残したまま歌っている教会もありますし、先日は放送の中で、つい旧い歌詞が使われているのを私がお知らせするということもありました(そのときには、朗読した歌詞と音声とが違っていたという主旨でした)。
 
しかしより深刻な問題は、弱い立場の人が気になる言葉というものに、強い立場の人が気づいていない、あるいは気づこうともしていない、という事実にあるかもしれません。表向きの表現に慎重になり過ぎるのもよろしくありませんが、せめて心の問題としては、差別の心を持ちたくはないと誰もが思うことでしょう。
 
しかしヤコブ書のように、知らず識らず、弱者を排除してしまう虞が、教会にもあることを、弁えておかなければなりません。私自身は、聞こえる人のことを「健聴者」という言葉を使っては呼びません。聞こえるのが健全で、聞こえないのが病気や障害であるという価値観をスタートに置きたくないからです。従って、「ろう者」と「聴者」という、別の文化をもつ立場であると理解して呼んでいます。このろう者がどのような扱いをこれまで受けてきたか、それはまたいずれお話しすることができるかもしれません。
 
気づかない罪をもおゆるしください、と今日も祈りつつ、歩かせて戴いています。

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