ローマ字入力がなぜ主流?
2003年3月11日

 初心者向けのパソコン教本には、しばしば「ローマ字で打ちましょう」と記してあります。いわゆる「タイピング・ソフト」もまた、ローマ字打ちを前提にしているものが多いらしく、中にはカナ打ちは受け付けないソフトもあるとか。
 日本語を入力するとき、「ローマ字入力」「カナ入力」、どちらを使っていますか?
 私は「カナ」です。ローマ字も、しようと思えばできますが、日本語を入力するときには文句なしに「カナ」です。
 なるほど、個人個人で、どちらかを選ぶのであれば、その人がローマ字を取ろうがカナを取ろうが、それでよいのだろう、と思います。しかし、これからキーボードを覚えようとする人に、一様に「ローマ字にしなさい」と呼びかけ、またそのようにソフトにより力ずくで制限していくというのは、納得できません。
 まるで、「日本人なのだから神道を信じなさい」とか「日本人なのだから天皇を崇拝するのは当然です」とか決めつけられているような気がします。違うのは、日本人なのにローマ字を強要されているのがちぐはぐなところでしょうか。


 キーボードを見ずに文字を打ち込むことを、「ブラインド・タッチ」とは呼ばなくなりました。視覚障害者に対する配慮からです。よい選択です。今は「タッチ・タイピング」と呼びます。
 私は、学生のとき、タッチ・タイピングを覚えました。ドイツ語の文献を扱う必要から、タイプは覚えた方がいいと先輩に勧められて、brotherの電動タイプライターを買いました。手動でもよかったのですが、手動では速く打つとアームが絡まることと、ドイツ語の活字が組み込まれた電動のよいものがあったからです。
 必要は発明の母――ならぬ、必要は技術習得の母、原文の学びのためにテキストとして本文をルーズリーフノートに打ち込むために、すぐに配列は覚えました。練習のためには、abcd...などと、およそ使う機会のない綴りを打つのではなく、専ら原文の綴りをどう打っていくか、で覚えました。
 アルファベットが分かれば、ドイツ語のみならず、英語でも何でも西欧語なら対応できます。
 当時、日本語のワープロが出始めた頃でした。恐ろしく高価でしたが、その効用を認めた私は、今のノートパソコンより高い金額を払って、一列窓のオアシスというワープロを買いました。日本語は、「親指シフト」でした。
 これも必要は技術習得の母、すぐに覚えました。なんと速く打てるのだろう、と感動しました。頭の中で考えていることが、そのまま活字となっていくのです。モーツァルトは、頭の中に浮かんだメロディを、楽譜に書き写すのがまどろっこしくて仕方がなかった、と嘆いていたといいますが、もちろんその天才と比較するのはおこがましいにしても、その気持ちは重々分かりました。筆記の鈍さから、解放されつつあったのです。
 ただ、一行窓はあまりにも狭すぎて、文書にしてゆくには、オアシスは非力でした。やがて、シャープの書院シリーズが紹介され、大きなブラウン管に文字列が並ぶディスプレイに、すっかり心が奪われました。これならもっと使える。……ただ、書院のキーボード配列は、JIS配列でした。
 しかし、これもまた同様で、必要とあれば、間もなくその配列に順応していき、結局のところは今に至っているということになります。
 初期の書院でローマ字入力ができたのかどうか、私は覚えていません。でも、頭の中で考えていることを、手書きより速く筆記していくために利用しようとした私にとって、ローマ字入力は、最初から選択肢に入っていませんでした。
 私は頭の中で、ローマ字で思考しているのではないからです。


 覚えるキーが少なくて済むから、初心者はローマ字入力がいい、とよく言われます。
 そうだろうか、と私は思います。結果的に同じく多くの文字を打ち出さなければならない以上、少ないキーしか使わなければ、必然的にキーを多く叩かなければなりません。ローマ字入力信奉者は、濁点を考えるとさほどカナ入力と変わりはない、などと言いますが、同じ文章なら、どう考えてもやはりローマ字入力のほうが遙かに多くキーを叩いています。
 それに第一、頭の中でローマ字に変換するという作業を通すとき、打ち出されていく文字は、自分の頭の中にあるものを間接的に翻訳していったようなものにならないでしょうか。いえ、ローマ字入力に慣れた人は、そんなことはない、と口にしますから、そんなことはないのかもしれませんけれど。
 変な勘ぐりをお許しください(ここはジョークとしてお読みください)。タッチ・タイピング・ソフトの開発メーカーのうまい宣伝に過ぎないのではないか、という仮説を立ててみたいと思うのです。うまくキーが打てたかどうか判定するゲーム機能をもつその類のソフトでは、要するにアルファベット26文字の打ち方が符合したかどうかを測ればよいのですから、五十音さらに濁音や拗音などを加えたカナ入力を判定するよりも、26文字の判定をするほうが楽なはず。開発費用も期間も短くて済むでしょう。そこで、ソフトからはカナ入力を省いた形で製品にしたいという本音があります。しかし、世の中でカナ入力が普通だということになれば、それが許されません。なんとしても、ローマ字入力こそが正統で、カナ入力が異端であるという常識を作らなければなりません。そのため、あらゆる出版社にもちかけて、これから覚える人はローマ字入力しかない、というムードで覆い尽くそうとした……。


 日本人なのだから、外国の神を信じるなんて……という声が常識であったことがありました。今でもそうかもしれません。仏教は外国の神ではないそうです。天皇という呼び方は大陸のものであり、「おほきみ」ではないそうです。
 人は、排除しようと思えば、どんな理屈でも作り出す力をもっています。すべての選択が、真実という基準でなされているわけではありません。
 とくに、人の顔色を見て自分の態度を決めるという風土である日本において、ローマ字入力だけを推奨する時勢に、うさんくささを感じます。
 欧文タイプから入った私が、カナ入力こそ優れていると思うのは、皮肉かもしれません。でも、タイプから入ったからこそ、どんな配列でも慣れることができる、と断言できるのも事実です。ピアニストは88鍵(以上?)を操ります。四十あまりのキーを操ることは、まったく苦にならないはずです。
 さて、若い人たちは、私のように欧文タイプから入ったのではなく、いきなり日本語変換という課題に立ち向かって、どちらの入力かよいか選択することになります。もし、メーカーや出版社の偏った推薦がなかったら、どちらから入ることになるのでしょう。
 もしかすると、専ら親指入力だけで済ましてしまったりして。

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