本

『弱さと神の慈しみ』

ホンとの本

『弱さと神の慈しみ』
テレーズ
伊従信子訳・編
サンパウロ
\667+
2006.4.

 これは改訂新版である。元は1995年に出ている。プロテスタントでは知られていない、というより関心がないかもしれない。とてもそれは残念なことである。聖人崇拝は偶像崇拝だとの一点張りで、神の愛に生きた人物を、よく知りもしないのに否定することがあるとすれば、もったいないというよりも、偏狭な心はないかと哀しく思う。
 聖テレジア。小さき花のテレジア。リジューのテレーズ。どれも同じ人物を指す。1873年に生まれ、1897年に病で亡くなる。24年間の生涯であったが、カトリックの「聖人」である。また、その中でも特に学識に優れた「教会博士」である。アウグスティヌスやヒエロニムスなどと名を並べ、女性のそれは数えるほどしかいない。
 どんな偉大な思想を世に著したのかというと、自叙伝や書簡などに限られるので驚く。しかし、その言葉に触れるとき、私たちはそれが神に愛され、神を愛する魂の純粋な輝きに満ち、クリスチャンでさえ心洗われるとしか言えないような感情を抱くはずである。そして、自分もできるならこんなふうに神との交わりの中に生きられたら幸せなのではないだろうか、との幻想を抱くのではないだろうか。
 その言葉を、テレーズの生涯を紹介しながら、ピックアップして並べた、詩集のようにすら感じられる小さな本である。まさに「小さな」が似合う。訳者が編集して、ひとつのストーリーの流れを意識させる形でここに紹介してくれた。まずは誰でも手に取って、何か感じるような本となった。
 そこには、自分の弱さが悉く告白されており、苦しみに満ちた魂を打ち明け、だからこそまたすべてを神に委ね神にすがる信頼によってだけ生きているという実際を、余すところなく見せつけてくれる。
 もうこれ以上、私のような天の邪鬼がこの本を紹介する訳にはゆかない。心がちくちくしてくる。この透き通った魂から漏れる言葉は、神との結びつきがどんなに麗しく、またこの地上においては切ないか、主にある者ならば響いてくるはずであろう。だがそれをあれこれ評したり、引用したりすら、できないのだ。恥ずかしくなってくるのだ。このような信仰の思いで日々過ごせるというのも、たしかに修道生活の賜物であるかもしれないが、私たち現代の世俗の中に生きるクリスチャンも、奥まったところにおられる神ということは知っている。せめてデボーションの時、祈りの時、テレーズの祈りに心を重ねることはできないだろうか。その意味では、祈りのひとつのテキストとして、この本を置いておくのもよいかもしれない。
 こんな人の祈りのような言葉を、手にすることができるというのは、なんと幸せなことであろうか。プロテスタント教会の人も、黙想ということがもっと身近になったらいいと思う。




Takapan
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