本

『若者とキリスト教』

ホンとの本

『若者とキリスト教』
関西学院大学神学部編
キリスト新聞社
\1500+
2014.2.

 関西学院大学神学部ブックレットのシリーズの一冊。毎年2月に行われている神学セミナーの公演と礼拝をこのような形でまとめて世に問うている。なかなか有意義なテーマと内容で、私はこの一冊で目が開かれるような思いをもった。
 神学というと、抽象的で、難しい聖書解釈や、へたをすると中世のような瑣末で煩雑な議論を弄んでいるかのように思われる向きもあるかもしれない。だが、このセミナーは、今教会が向き合っている問題を正面から取り扱っているし、聖書解釈からああだこうだと持ちだしているわけではない。教会が抱えている問題を、たしかに聖書に基づきながらも、実際的な問題として知恵と霊とで共有し、自らの実践を紹介し、また将来を考えようとしているのである。
 実際上若い世代が減少している教会が多い。すると、若い世代を招く方法がだんだん分からなくなっていく。いつの間にか毎年確実に平均年齢が増えていき、お年寄りの同窓会か、老人施設やサークルのようにさえなっていこうとすることが懸念されている。懸念されているのに、仲良しグループであればいいではないか、というように昔ながらのやり方で集まり、ますます若い世代が加わりづらくなっていく。かくして高齢化スパイラルが作動する。
 キリスト教系学校の抱える問題も、実のところ一般の教会には理解されないようである。学生を受け容れるリレーも難しい有り様だ。もっとつながらなければならない。そのために、このようなブックレットの意義は大きいと考える。
 私は個人的に、最初の松谷氏のものと、中道氏のものにとくに感銘を受けた。前者は比較的若い世代であり、使われている言葉が、より若者に密着したものになっていた。それだけに、その世代の声を言語化し代弁しているものと理解したいと思った。しかしそこには、教会側の悩みも挙げられ、その接点を、どこか基本に戻りつつ打ち出そうとしているようだった。その一つが、「広報」という考え方だった。それによると、「玄関から一歩だけ外に出たところ」という表現が、広報の役割を的確に言い表しているという。「知りたい」に応えるのが「広報」だというわけである。私はこれに刺激を受けた。教会の広報の一端を担っている私は、考え方を改めた。何を「知りたい」と思っているのか、そこに目を向けないと、たんにどうしたら人が教会に来るか、などというレベルでは、どうにも埒が明かないと気づいたのである。
 また、中道氏は、もっと「おとな」の言い方で論点を整理しながら伝えてくれる文章を提示してくれていた。そこには、「礼拝」そのものについての新たな視点が紹介されていた。いや、決して新奇なものというわけではない。会衆が、つまり若かろうが年配であろうが、ほんとうは「教会」という言葉が人の集まりを示すように、その本来の意味での「教会」が、共に礼拝を形成していくというあり方提示されていただけである。若者が寄ってこない礼拝ということは、つまり礼拝が含んでいる問題をそのことが表している、というふうに捉え直すのである。若者は、「組織」を求めているのではない、という。「霊的な経験」を求めている。たしかに、信仰はそれで良いといえば良いはずである。尤もなことだ。「おとな」の側が学ぶべきことはたくさんある。
 また、その中で、「美」についての指摘があり、教えられた。美のもつ力がこんなにも鮮やかに描き出されているというのは、うれしかった。
 そこで、このブックレット・シリーズの他の本も、また書店に注文した次第である。




Takapan
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