本

『夕あり朝あり』

ホンとの本

『夕あり朝あり』
三浦綾子
新潮文庫
\710+
1990.11.

 ユダヤの一日は夕方・日没に始まる。だから聖書では、まず夜から始まるような書き方がよくなされる。牧師が説教の中でそのようなことに触れたとき、さらりとではあったが、三浦綾子さんの小説にもありました、と聞いたとき、私はなんだかそれを読まなければならない、と思った。クリーニング白洋舎を興した五十嵐健治氏を描いた小説である。
 そういう小説なのだということは知っていたが、実際全部読んだことはなかったので、これは「時」だと思い、図書館で探した。
 三浦さんの小説としてはたぶん珍しい形だとは思うが、独白で終始貫かれている。また、新聞小説だったというから、退屈な回があってはならないということで、日々連載していく難しさもあったことだろう。
 だが、悔しいくらい、惹き込まれていく。それは私と信仰でつながっているから、と言われるかもしれない。実際、そうかもしれないと思う。だが、人間、心をまっすぐにして正しいことを貫くこと、また、それでいてひとを赦すこと、そうした人生の真実の姿には、感動をするしかないように思うのだ。
 フィクションでありながら、かなり忠実に生涯を辿っている。有名な『塩狩峠』さえ、主人公の名は架空の名に変えているのに対して、こちらは名前をそのままに用いている。ご本人の了承を得ているというところもあるのだろうが、それも亡くなるときにかろうじて、まるで仕方ないかのように許しを得たということが記されていた。五十嵐さんは、自分のことをそのように描いてもらえるということは、気恥ずかしかったのかもしれない。
 独白だという形式であることに触れたが、ずっと自分の生涯を話し聞かせるような形式になっている。視点がつねに一つであるのだが、私はそれが見事な効果を出していると思う。結論的なことを言ってしまうと、キリストが共に導き歩んだというその人生が、実にしみじみと描かれているように感じるのだ。しかも、語る本人が退席することで幕を閉じるが、安易に死んだことを以て終了ということにはなりえない。キリストと友に歩む人生は、まだ終わっていない。死が終わりを表すものではないという余韻を十分に伝えている。また、この後の五十嵐さんの人生の歩みは、読者である私が辿るのだというような気持ちを起こさせる。
 こういうところを見ても、三浦文学の非凡さ、などというと失礼だが、才能、いや、霊に生かされた仕事というものを強く感じる。それが、嫉妬すら感じさせるほどのものとなって現れている。祈りと共に綴る(口述する)ということがどういうことなのか、しみじみ伝わってくる。
 事実に基づいているが故に、必要以上に複雑な過程があるようにも感じられる。もし創作のみであったら、ここまで入り組んだ丁稚時代にはしなかったのではないかとも思われるが、事実は小説より複雑である。しかしその複雑さを錯綜の中に招かないだけの描き方がなされている。これを、断片的に読者に提供する新聞小説の形で提供したというのだから、また驚きである。さらに、ストーリー展開によっては、時間順序が逆転したり錯綜したりする場面もいくつかある。それでも、読者に混乱を与えないというのは、どういう才覚なのだろうと感動する。
 いや、この物語は、そんなところにばかり目を向けてほしくないだろう。五十嵐さんの信仰のもつもの、そしてそのように彼と周囲の人々を導いた神の真実をこそ、読者は見るべきなのだ。三浦さんは、そのように言いたいに違いない。現代では考えられもしないような事態に遭遇する。今なら権利とか保障とかなんだかんだといって、支援があるものと思われるが、当時は社員の与えた損害をそのまま受け容れざるを得なかった様子などが描かれていると、よくぞそんな中で耐えに耐え、祈り続けたものだという驚きの連続であった。
 また、牧師でない一信徒が五十嵐さんを信仰に導き、洗礼まで授けるのだが、そのときのキリスト教信仰の説明が実にすばらしい。才知はあるがいわゆる学のない立場の人に、信仰するとはどういうことか、神とはどういうお方なのか、実に分かりやすい譬えで示す。これで五十嵐さんは一発で納得したのだった。この譬えの連続は、昔はよくある話だったのかもしれないが、私には新鮮に聞こえ、また私自身、そういう言い方があるのか、と驚異の連続であった。おそらくイエス自身、福音書にある譬えは、そのような性質のものであったことだろう。しかし、時代も文化も違う中で、その譬えが伝わりにくくなっていく。その意味で、新たな時代の譬えというものがありうるとすれば、こんなふうなものなのだろうか、と思えるようなものがぽんぽんと飛び出す件があり、大いに学ぶものとなった。
 味わい深い作品であった。その長さを長いと感じさせず、厭きさせないものがある。そして、キリスト教とは何か、神の真実とは何か、見えないけれどもそれを十分に感じさせる小説として、心に強く残ったのだった。




Takapan
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