本

『キリストは甦られた』

ホンとの本

『キリストは甦られた』
R.ランダウ編
野崎卓道訳
教文館
\3200+
2017.3.

 本書には、「20世紀レント・イースター名説教集」というサブタイトルが付いている。これは、以前ご紹介した、『光の降誕祭』の姉妹編である。それは1995年発行であったが、私は最近読んだ。クリスマスについての、ドイツ語圏の説教を集めたものであった。今回はそれが、イースターへの時季のものを集めたことになる。編集者は同じであるが、編集基準や思惑などについての説明はなく、ただひたすら、届けたい説教が並んでいるということになる。
 それは、教会暦をなぞるように並んでいる。その基準だけはよく分かる。また、説教者は現代と呼べるような方々ではあるにしても、20世紀と称している以上、やはり最大100年ほどの開きがある。特にドイツである。ヒトラーの時代やその影響を受けた時代のものは、その時に相応しい重厚さや圧迫感の中で語られており、丁重に聴かなければならないであろうし、そのようなメッセージを聞き取るようにすべきであろうと思う。
 前回の訳者は加藤常昭氏であったが、今回は野崎卓道牧師の訳である。FEBCでも読まれているヴァルター・リュティの本の翻訳などに携わっている方である。こなれた訳で、読みやすい。語学ももちろんのことながら、歴史や背景、そして何よりも、福音理解に秀でていなければできない仕事である。まことにありがたいものだと思う。
 一日ひとつ読んでいけば、四週間で読了することになる。が、私がこの本を入手したのは、復活祭の二週間前であった。それで、一日にふたつずつ読んでいくことにした。これくらいでもなんとかノルマとして読んでいけた。長さとしては、長短様々であった。これがほんとうに語られたのかと思われるほど長く感じるものもあったが、短いメッセージもあった。それが案外、ふたつずつ読むとバランスが取れ、一日の量が不思議と安定するのを感じた。それぞれの牧師の個性が比較されもするし、これくらいが良かったかな、と結果的に思う。しかし、降誕祭のときでもそう思ったし記したと思うが、一気にどんどん読めばよいというものではないと考える。キリスト者は、週に一度、主日礼拝の中でメッセージを聴き、それを一週間の栄養のようにしていく、というパターンが多い。神のことばを噛みしめて受けるには、慌てて一度に取り込むよりは、十分味わいたいものである。
 十字架と復活を語るには、福音書がその三分の一かそこらを十分に占めるものとして具えられているため、聖書箇所として用いるには十分すぎるほど選択肢があるようでもあるが、預言書や詩編、また書簡からも自由に引かれているのを見ると、やはり聖書はふんだんにキリストの救いを伝えているものだとよく分かる。そして、説教者の伝えたいことがそこにひとつの筋を通す。ドイツの説教は、これが分かりやすい。いったいこの説教を通じて、会衆の一人ひとりが何を受け取ればよいのか、その点について実にくっきりとしていると感じるのだ。それは、繰り返しで分かるのであるが、バターを厚塗りするように、たたみかけて重ねていくという組み立て方がよく見られる。また、ひとつのことを言いたいために、事例をくどいほどに挙げて、一つひとつ否定して、最後にひとつのことを提示するというような形もある。語るときには、このような間の置き方が優れていることはよく分かる。説教を読むとき、その声が聞こえてくるかのように、そして一定の時間の中で、後戻りせずただ一度の経過の中で心に入っていくような営みとして、味わいたいと改めて思った。
 優れた説教は、魂を生かす。神のことばの説き明かしを、日々の読書のうちの一冊に、私は必ず含めておくようにしている。そうやって、日々いのちを戴いて歩んでいくのだ。




Takapan
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