本

『読む力・聴く力』

ホンとの本

『読む力・聴く力』
河合隼雄・立花隆・谷川俊太郎
岩波書店
\1500+
2006.11.

 興味深いタイトルであり、テーマである。私は常々、それが大切な営みであること、また、その意味を問い直さなければならないことであると理解している。それで飛びついたのであるが、少々求めていたものとは違った。
 すごい三人である。読むことと書くことについて登場して戴くには最高峰の三人であるとも言える。それを実際に体験している方々、またそれはどういうことか、つねに自問自答しつつ営んでいる方々である。しかし、心理学者がいるとはいえ、分析的にどこまで期待したことに応えてくれるだろうかという懸念のとおり、ここにあるのは、豊かな表現をもつ三人の鼎談と、和やかな語らいであった。読者は、三人の語ることをひたすら脇で聴いている、という印象であった。
 もちろん、それが悪いということはない。傍から聴きながら、なるほどそういう視点がある、そういうことには共感できる、など、受け容れたいこと、気づかせてもらったことがふんだんにあった。そういう利点を思いつつ読んでいくと、深い井戸のように、汲めども尽きぬありがたさが感じられる本であることは間違いない。
 これは、文化セミナーの記録である。とてもよい雰囲気が進んでいる。だからまた、決して議論を戦わせているというものではないことを踏まえて味わいたい。
 私がこれを読んだのは、発行されてから十年を経てである。通信技術の進歩やあり方の変化は大いにあるが、デジタル時代の中で、ことばの力を肌で感じ育んで用いてきたそれぞれの方の懸念や不安といったものも感じられる。うまく言い当てているかどうかは読者の捉え方次第であるかもしれないが、ことばが深く人格に影響し、変えていくという、なにか畏れのようなものがなくなっていく時代の流れの中で、安易にそれに棹さすのではないぞというような重鎮のことばは胸に響く。かといって、2世代前の読者は参考にならないという、的確な視点も清々しい。結局は、一人ひとりが自分の人生を引き受ける中で、ことばというものに向かい合い、ことばにより考え、交わっていくのでなければならないということなのかもしれない。
 そんな中で、聴くということは分かることだ、というところで、私は立ち止まった。そもそも、「読む」だけでもこの本はテーマとしては出来上がっていたのだ。人間社会は今、「読む」文明を築いている。けれども、人類の歴史の中で、「読む」ことは実は稀有のことだった。名誉や地位のある者の特権、高度な教育により達成されたものとしての文字と読解というものが長らく人類史の中で常識なのであった。だから、中には今なお、書いたり読んだりするということについて必要を覚えない文化もあるという。それはそれで肯けるものである。つまり、より根源的には、人間の生き方は「読む」ではなくて、「聴く」ことであったのだ。この点を踏まえて、「読む」という文化の背景にある「聴く」ということを聴くというのが、この本の本当の狙いであったのかもしれない。また、読者が感じとって、自分の問題としてこの「聴く」ことについて考えていき、尊重していかなければならないことなのではないか、とも思うのだ。
 ノウハウを期待するべきではない。また、それでは、「読む力・聴く力」の主旨に反する。参考書のまとめのようなものを求めるのではなく、自分で感じ、考え、決意をして生きていく、そのような場に必要な思考と文化の営みとして、読むことと聴くこととを捉え、実践していきたいと願う。本書の狙いも、そのあたりにあるのではないか、と思うのだが、たぶんお三人は、それさえもご自由に、と笑顔でこの本をただ渡すだけであるかもしれない。それでいいのかもしれない。




Takapan
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