本

『ユダとは誰か』

ホンとの本

『ユダとは誰か』
荒井献
講談社学術文庫2329
\960+
2015.11.

 碩学たる荒井献氏が、資料を駆使して、ユダという人物にひたすら迫る。学術文庫にまとめられ、入手しやすくなった。文庫とはいえ、案外文字数も多く、内容は豊富である。初めのほうで、福音書を並列して、ユダに関する記事を全部載せているので、読者としても別に聖書を開く必要がない。また、どこに注目すべきかが一目瞭然なので、ありがたい。
 とにかく資料が膨大である。各福音書はもちろんのこと、後世の文書もふんだんに取り入れられ、検討される。外典や教父文書など、著者の業績の多い分野であるからお手の物ではあるが、それだけの知識を加えて紹介してもらえると、やはり助かる。詳しい人がその詳しいところを見せてくれるというのは、学問のいいところだ。そのとき、紹介に終わるだけの研究もあるし、その人独自の解釈や思い切った主張が出される研究もある。どちらもそれぞれの価値を持つが、本書はどうであろうか。私の見た印象では、前者のように、おとなしくまとめた、というふうに見えるのだが、違うのだろうか。本論の最後に、きちんとまとめてあるが、結局なんだかよく分からない、というような結論があって、ある意味でがっかりする。面白さの点では欠けるような気がするのだ。しかし、やはり資料の中のユダを拾い集めて並べてくれただけでも、それは貴重な研究であるとすべきだろう。
 後半では、「ユダの福音書」が紹介される。「聖書」にされなかった文書であるから信用がおけない、というような受け取り方は、人類にとり損であろう。たしかに、それを神のことばとして受け取り、自分の人生を懸けるような対象ではないかもしれない。しかし、昔人が、聖書の中のユダをどのように捉えていたのか、そこから何を得ていたのか、そんなことを感じるためには、何かと役立つ文献であることは間違いないだろう。
 本論が終わったかと思うと、ユダのいわば美術的資料の写真が居並ぶようになった。石原綱成氏の文章がその後に続くのだが、これは本書の標題の著者とは別人である。そしてこの文章がなかなか面白かった。この資料もまた共に置かれているということで、読者にとり、この一冊でユダについての基礎資料が全部揃うという親切である。美術については、図像学という分野がある。その図はなんとなくの感覚で作られているということはなく、必ず一つひとつの構図や向きその他に、意味がこめられているのである。当時の人々の理解がそこに伴っていることはもちろんであり、ユダがイエスの復活の場面に居合わせているらしいという弟子の数にも注目するとまた面白い。ただ、12人の弟子が描かれているにしても、そのうちのどれがユダであるのか、分かりやすい時代と、分かりにくい時代とがあるという。つまり、ユダを意識していたかどうか怪しいと思われる場合もあったりするのだという。こうした点など、興味は尽きない。
 ユダの救いはどうなったのか。滅んで終わりなのか。聖書をいろいろ読んでいくと、そうした疑問に当たる。本書は、その問いに解決をもたらすものではないかもしれないが、時折そのヒントが投げかけられる。そうした着眼点を得ることで、読者は、それまで知らなかったことを知り、考えたことのなかった観点を与えられて、自分なりのユダ観というものができていくのかもしれない。「ユダとは誰か」というタイトルは、読者に向けられた問いであり、課題であるという気がする。




Takapan
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