本

『ウェブ社会のゆくえ』

ホンとの本

『ウェブ社会のゆくえ』
鈴木謙介
NHKBooks
\1050
2013.8.

 ウェブという言い方もどこか衒学的にさえ聞こえるほど、今は「ネット」で通じるようになってしまった。それでもタイトルはウェブである。しかもサブタイトルがこうきている。「<多孔化>した現実のなかで」と。これは著者の訴えかける内容を著者が一つの言葉で命名したような語である。つまり、初見の読者には分かりそうにない。
 穴が沢山空くこと。多孔というとそれくらいしか頭に浮かばない。現に、これは発泡スチロールのような物質の加工などにおいて使うことはあるものの、通常お目にかかる言葉ではなさそうだ。
 では、この語によ著者は何を言おうとしているのか。それがウェブ社会のこれからを左右するのだと考えているのだろうから。
 この「多孔化」というのは、著者は、情報空間という概念の中で考えているようだ。物理的に私たちが暮らしている空間ではなく、情報というものが自由にその私の中に遠くから飛び込んでくる。まるで、そこらの空間に穴が空いており、魔法のように情報が出たり入ったりしているかのように。
 著者はもちろん学者であるから、こんな生ぬるい感覚による文章で書いているわけではない。現代最先端のウェブシステムの用語を巧みに使い、またソーシャルメディアにおける人々の隠れた実態を鋭く指摘する。
 そもそも、これをなかなか指摘しないという世情がどうかしている。子どもが平気でスマホをいじるということが、いかに人間成長を不安定にさせるかということなど、少し考えたら誰にも分かりそうなことだが、社会は欺瞞に満ちている。というのは、これだけの巨大産業となった通信業界に誰も逆らうことができないからだ。まるで、公害の初期に、汚染物質を垂れ流している企業を、殆ど誰もがいけないことだと注意できなかったかのようだ。企業側は、なんだかんだと理由をつけたり、言論を風圧しようとしたりして、自分に対する反対意見を封じてくる。田中正造の生涯はそれとの戦いであった。今、電磁波に対する不安も、いつしか立ち消えになっている。公共の輸送機関の中での電磁波についても、当初少し何か議論があったが、もはや誰も何も言わなくなった。これに逆らうということは、世間の99.9パーセントを敵に回すことになり、また自分の職を失うような立場に立たさせるからだと言われても仕方がないのではないか。大音量で音楽などを聞く人々についても、音漏れとかマナーとかいうくらいで、つまり罰されるようなことのないレベルで少し挙げられるに留まるが、他人に心理的暴力を振るっているだとか、将来難聴になる可能性が多々あることなどは、企業の経済論理優先の中で封殺される意見として表に立つことがなくなっている。
 著者は、そうした感情的な議論をしようとしているわけではない。ただ、社会の各地で現実に起こっている、ある意味で奇妙なことを、鋭く指摘する。気に留めておかなければならない事例を確実に拾い上げる。すっかり個人的な空間に留まるだけで世界のすべてとつながっているかのような錯覚を覚えているであろう現代のウェブ利用者に、せめてそのことに気づくことが必要なのではないか、と指摘するかのようでもある。
 私が常々言っている。スマホをいじりながら街を歩く。自分がその現場にいるという自覚がなく、どこか遠いところとつながっていることしか意識がないかのようで、そばにいる他人の迷惑には一切おかまいなし、全く意識すらしないという有様は、この多孔構造そのものであると言えよう。「いま・ここ」の自分を捨象できるのは何故なのか。時に自分に降りかかる災難も、怖くないのだろうか。そもそも周りには他の「人」などいないというつもりで自分本位の生き方をしているだけだという、あり方に由来するのだろうか。つまり、ウェブが原因なのではなく、そういうあり方にウェブがのっかってくるとこうなる、というだけの出来事に他ならないのだろうか。
 何か文句があるのか、自分は今ウェブで人とつながっている、だから今この場での交通規則に従う必要もないし、そこで出会う人とのことなんか二の次に過ぎない。自分のウェブ連関の故に自分はこの場での法も道徳も免除される。ぶつかるならあんたが勝手にどけばよい、あんたが避けないからぶつかったのであんたが悪い……。
 こういう心が、街のそこかしこに溢れている。本当は存在しない、虚構の多孔ルームしか信じられない人種が増殖している。こうなると、多数の意見が正しいということになり、経済発展こそ正義の原理という揺るがぬ原則に人々がなびいていく。流されていく。
 まさに、この社会の「ゆくえ」が懸念されるということになるのだが、歴史の中でいつでも、当時繁栄していた狂乱の行き過ぎを懸念するというのは、ごく少数の誠実な人々に過ぎなかった。世の中の主流こそが正義だという幻想を抱くことのない視点は、貴重である。この本が正鵠を射ているかどうかは知らないが、ここから議論を膨らませていくべき視点は、確かにもたらされているのではないか。著者の意見はつまらないよ、と一蹴してまたスマホをいじる読者が、この事態に自ら責任あると気づくようであればいいと願う。




Takapan
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