本

『わが指のオーケストラ』

ホンとの本

『わが指のオーケストラ』
山本おさむ
秋田書店
各\750
1991.10〜1993.3

 単行本として全4巻の漫画である。それぞれの背表紙には「耳がきこえずもの言えぬ子供たち…その子等が他人に心を開き言葉を知り…自分の世界を広げ豊かな人間に育っていく…その事が音楽なんだと…今日初めて知りました」と記されている。
 音楽への夢を断たれた若者であった高橋潔は、大阪市立盲唖学校へ紹介され赴く。そこで出会った一作という少年が、手に負えない暴れ者だった。ものに名前があるということさえも知らずにそこまで育ってしまった少年により傷を負わされる中で、潔は少年の心の傷を知り、ついには少年の心を開く。この一作は後にこの学校の教諭と育っていく。
 これだけだと、ありがちな熱血教師の話となるのだが、高橋潔の人生はといえば、口話教育一辺倒へと流されていく中で、少数者・被差別者しての聾者たちの用いる手話の火が消されないように、孤立させられながらも聾者たちの立場を守り抜いたことである。この戦いが物語の中途から後半を占めている。
 実在した人物を脚色を交えて描いているとは言いながら、全編実にリアリティに満ちており、この戦いが事実そのようなものであったことを十分に伝えてくれる。そこには、若干の大げさなところもあるかもしれない。しかし、様々な史料に基づいている点、その資料を明らかにしている点でも、概要については信頼性をもつものであるといえよう。
 関東大震災において、多くの朝鮮人が虐殺されたことは、認めたくない者がいたとしても事実として記録されていることであるが、その中で、朝鮮人を見出すために「50円50銭むと発音させているシーンがある。士師記12章で、エフライム人がエフタ率いるギルアデ人に試されます。「シボレテ」と発音してみよ、と。それで「スィボレテ」と発音してしまうことでエフライム人であることがばれ、42000人のエフライム人が殺されるという記述がある。ところがこの朝鮮人発見のための手法は、聾者には語りかけられても分からないということになり、答えられない聾者が間違われて殺されたというシーンが描かれている。
 しかも、それは一つの事例に過ぎない。漫画の前半では、親に愛を伝えようとしていた子どもたちのことを分かってやれず、逆に自分の言っていることを解しない子どもを、今の言葉で言えば虐待している親たちが、手話に触れて初めてそのことを知り慟哭する場面がある。家庭において、社会において、万事がそうだったのである。
 今でこそ、手話というものは認知されている。逆にそこに魅力を感じる人も少なくない。だが、それは血塗られた歴史の中で、そしてこの高橋潔らが命懸けで守ってきた、声なき声であったのだ。
 手話は手真似と呼ばれ、蔑まれてきた。それは、聴者から見て、聴者こそ健常者であり、聾者の文化である手話は障碍のためのものであり、健常者の文化である口話にこそ統一することが聾者たちの幸福であるという一方的な決めつけに基づく態度であった。多数派であり自分たちこそ正義と信じて止まない聴者たちの圧力は、他方で我が子のために口話を施したいとした信念の人である西川吉之助の熱意を、政治的なものとして暴力に進展させてしまったのかもしれない。
 後に自由民主党初代総裁となる時の文部大臣であった鳩山一郎が、この口話のみの教育に大きく棹さしたことは有名である。2010年の今現在首相である鳩山由起夫はこの一郎の孫にあたる。その「友愛」なる言葉も、この一郎が元々提唱した言葉である。一郎はクリスチャンであった。
 そして、漫画の中では出てこなかったのであるが、後書きで、この父なる高橋潔のことを世に伝えていた娘たる依子さんが、彼がクリスチャン(クリスト者と記している)であったことに触れている。宗教教育の必要を覚え、仏教であっても手話により伝えることに力を注いでいるという。
 この依子さんは、この漫画にする話を受けたとき、山本おさむ氏が、自ら手話を学んでいたことに共感を示している。自分では手話を学ぼうともしないで、手話がどうだと論じるようなお偉い方に対して信頼がおけないのと対照的に、手話の世界そのものに飛び込むことで、初めてその理解の一歩が築かれるのだという基本的なあり方が必要だと考えているからである。私もそうだと思う。
 視覚障碍の場合とはその点、違っている。聴覚障害の場合には、人それぞれに違う状況や理解が伴いつつも、言語という点で異なる別の文化がそこにある。それを理解することは、多数であれ少数であれ、様々な文化があり認め合うことが必要だということを求めている。日本という小さな国で唯一日本語を用いる私たちにしても、ある意味で少数者であるという見方もできるのである。
 この本を、私は聾の方からぜひ読んでほしいと貸して戴いた。出会えて本当によかったと思う本となった。




Takapan
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