本

『高山右近史話』

ホンとの本

『高山右近史話』
フーベルト・チースリク
聖母の騎士社
\800+
1995.5.

 失礼ながら、これも古書店で購入した。格安の値段であり、聖母の騎士社には一円も入らないルートである。
 長崎で出版を続ける会社は、カトリックの地道な活動に基づくものであり、尊敬に値する。有名なマキシミリアノ・コルベ神父に由来すると聞いているが、詳しく知る者ではない。ただ、「続ける」ということには意味がある。今もなお続けられているその雑誌の印刷と出版業は、まことにキリスト教文化のための広汎にわたる活動として素晴らしいものがある。
 たくさんの、カトリック関係の本が出ているが、やはりこのような文庫というものは、読者を増やすために非常によい手段である。ちょっと読みたいと思っても、価格が数千円もすれば、よほどの人でなければ手に取れない。数百円でひととおり詳しい知識が手に入るというのは、なかなかの魅力である。
 これは高山右近。高槻をベースにするが、名だたるキリシタンである。九州にもキリシタン大名はたくさんいたが、高山右近の信仰については一目置くべきであると認識している。現在でも、この右近に入れ込んで、ちょっと道を逸れていく牧師もあるほどだ。右近の魅力に取り憑かれると、なかなか抜け出せないという場合もあるようだ。
 たいへん純粋な信仰であった。戦国大名という立場で、当時領主が信仰すれば地域住民は強制的に改宗するというのが常識であった時代に、右近は、たしかに反対はしにくいのではあろうが、かなり自由意志に任せたという。信仰という問題を、個人的な精神の問題として理解しなければできない行為である。つまりこれは、制度として優れていたというばかりの意味でなく、信仰をどのように理解していたか、という問題に関わるのである。
 また、実践として、その領内での政治がどのように考えられ、営まれていくかということにも、信仰の理解が関係している。右近は、その点でも、思いやりある方策を実施するように考えていたようだ。
 この文庫は、そうした高山右近について、その生涯を紹介することを通じて、様々な史料を検討し、提示するというようなあり方で成り立っている。その目的がはっきりしているのも面白い。つまり、右近の列福を目指しているのである。カトリック教会において、聖人という目的のために段階を踏んで、信仰の偉人を定めていく。その中に高山右近が入っていなかったというのも、逆に不思議な気がしないでもないが、列福というものは、推薦の制度でもあって、一定の運動がなければ実現しない。ここに、右近を知る人々が、列福のための準備をするとして、こうやって史料を集め、示すのである。そして読者にもその支持を願うということなのであろう。
 いやはや、高山右近について具体的に知らなかった私には、実に勉強になった。歴史的な背景について知らないところも多々あるので、史料を次々ともたらしてくれても理解しづらいところがあったが、概ね流れは分かったし、周囲の熱意というものも伝わってきた。400頁近く、読み応えがあった。著者の思い入れや推測により事が運ぶのではなく、史料を重ね、右近の実態を適切に示そうとする意図がよく伝わってくる。
 難しいところも多いが、その信仰には、個人の意識として、見習って然るべきところもあると言えよう。歴史の好きな方はもちろんだが、右近がその限界状況でどのような選択をしていったのか、ということは、キリストの教えに基づくものであるだけに、私たちの生き方にとっても大いに参考になる。戦国武将として、死を覚悟して振る舞った様は、確かになかなかできることではない。列福は今の時点で実現していないようだが、陰ながら応援させて戴こう。こうして信仰の偉人に注目が進むことは、頼もしいからである。




Takapan
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