本

『伝道する教会の形成』

ホンとの本

『伝道する教会の形成』
上田光正
教文館
\1900+
2015.7.

 シリーズ「日本の伝道を考える」の第三弾。いよいよこれで著者の切実な訴えが完結する。ここまで、日本におけるプロテスタント伝道の歴史と他国、たとえば韓国との比較が新鮮だった第一巻と、キリストの十字架と復活の福音のメッセージでもあったような第二巻と、丁寧で歯切れのよい、そして福音の香りに満ちた議論を展開してきたように見えた。
 第三巻は、より具体的な、現代日本における伝道、とくに教会が何をするべきか・どうあるべきかについて、熱い議論をぶつけてくることになる。その際、牧師だけではなく、信徒の力が求められるように見えるが、これは第一巻の、韓国との相違の中で見出された観点の展開であると言えるだろう。
 本書は、まずキリスト論から始まる。それは神の言であるという。これを受けて、次は牧師である。牧師の召命と説教という、根本原理に当たるような話が続く。概してこの本は、具体的に何をしましょうなどという空気はもたない。あくまで神学的基礎付けの中で見出されるべき、確かな原則のようなところを定めようとする。その次には、信徒である。信徒の務めが、教会の自伝・自立・自給の精神が重視されている。これにもかつての日本プロテスタント伝道初期における在り方で実際期待されていた方針なのだということで、この場で思いついたようなものではないことをはっきりさせている。ここで、つまり信徒一人一人が自覚して動き始めることによって、初めて、教会は伝道する教会としての一歩を始めるのである。それから、日本の教会と伝道が、いわば「見えざる教会」との関係から希望を以て提示されて幕を閉じることになる。
 思いのほか、楽観的な結末であった。それを「信仰」と呼んだほうがよいのかもしれないであろうか。今目に見える状況から悪い将来を思い描くよりも、神が導く救いの成就、神の栄光の現れがあるという期待で満ちており、ブレがない。それは無根拠な楽観ではない。今の状況が必ずしもうまくいっていないこと、このままでできていると考えるわけにはゆかないことを、正当に理解している。その上で、未来像を希望の中に置くのである。
 この第三巻が進むにつれて、これまでの二巻が何を目指してきたのか、がようやくはっきりするようにもなった。いや、それはすでに描かれていたといえばその通りなのだが、ここへきて明確に集約していく形をとるのであった。そして、これまではどちらかというと比較的当たり障りのない形で主張されていたことが、ここへきてかなり露骨に、言いたいことをぶつけてくるようになった。もうここで言わなければいつ言うのだ、とでも思っているみたいに、特に終盤にかけて、かなり強い言葉が続く。
 それは、教会の連動の現実性について、確かに容易にそれができるものではないが、これまで日本基督教団が、その萌芽をすでに実行してきたではないか、と主張をし始めることである。荒野にあるような40年間、日本基督教団はさまよってきたことは認めるという。しかし、教会が一つにまとまる現実的な営みについて、いろいろ問題を提起しながらも、日本基督教団が実際に歩んできているし、そこには理由があるとして、たとえば信仰告白が築き上げられたことなどを挙げている。
 自身が、日本基督教団の牧師を続けてきたが故に、その内実をよく知り、現場でなされてきたことを知るということで、このように教会一致への道の、重大なモデルが成立していることを掲げる。内部的な議論や紹介がかなり熱くなり、そこから距離を置く読者には、ややついていけない印象を与えるかもしれない。いや、その理由は、日本基督教団について詳しく書かれているというばかりではない。実のところ、他の派について、かなり手厳しい批判を繰り返すのである。カトリックについては、本書以前の巻でも、根本的な部分で明確に一線を画し、気に入らない点をはっきりさせ、それを事ある毎に持ち出してきた。だがここへきて、福音派の批判、バプテストの欠点などを露骨に不満と共に述べるようになる。逆に、日本基督教団については、柔らかな口調である。もちろん、40年間の混乱などが良いものであるとは断じないが、それを批判というよりも、希望のために役立つようなものとして添えるような形をとっている。そこへいくと、カトリックや、プロテスタントの他の派への評価はかなり厳しい。一刀のもとに、ダメだと切り捨てるような勢いが強い。
 それは、巻末に長くまとめられている注釈において、さらに顕著である。このシリーズでは、注釈が充実していることには、これまでもはっきりしていた。だが、本文の中でもかなりきつい批判がなされている上に、この注釈においては、さらに攻撃の度合いが増している。
 やはりこの第三巻が、一番言いたかったことなのだろう。そのための準備として、二つの書があった。そして、いまここで言わなければならない時だという覚悟のようにして、第三巻で、存分に主張を展開する。そこには確かにひとつの筋はあるが、どうも身内に甘いというか、最初から結論が決まっている口調であったので、その「他の教派」に属する読者は、不快に思うことがあるかもしれない。その点については、必ずしもフェアであったとは言い難い。学ぶことは多かったが、私は第二巻ほどの関心を握り締めることができずに読み終わってしまった。
 比較的価格が安く抑えられている利点もある。学ぶところは少なくない。まさに私たちは、日本の伝道を考えなければならない場所に置かれているのだから。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system