本

『わかりやすく《伝える》技術』

ホンとの本

『わかりやすく《伝える》技術』
池上彰
講談社現代新書2003
\777
2009.7

 子どもたちに分かりやすくニュースを伝えるという点では今、右に出る者がいないという著者。かつての番組、私もよく見ていたし、それは驚異的な分かりやすさだった。むしろ大人こそこのような基本的な理解をしなければならないと思ったし、ものを教える仕事をしている私としては、こんなふうに教えればよいのか、と学ぶところが大きかった。
 以後も、大人向けの解説もするようになり、また違った角度ではあるが、やはりスタンスとしては、物事を短い時間で分かりやすく伝えるという点で優れた役割を果たしているものと捉えられている。そういうノウハウについては、これまでも著者は何度か本にしているようだが、今回私が手に取ったのは、今出たばかり新しいものであったことと、それから書店で見たときに、ピンとくるものを感じたからである。まさに、著者の言うように「リアル書店」で出会ったということである。
 実のところ、これを読んでも、私にとっては賛同することばかりで、いくつかの点では教えられたものの、殊更に新しいことを聞いたような気がしなかった。だが、である。それは私がいろいろ知っているから、というよりも、著者が私にそのノウハウを伝えるのに見事に成功しているからではないだろうか、と気づいた。誰もの心の中にあるものに気づかせることも、伝え、教える役割である。誰でも無意識のうち、伝える技術について感じていることがある。それを、「そうなんだ」とか「それでいいんだ」とか確認される作業を、この本は成し遂げたのだ。
 とはいえ、私はやはり伝えることを仕事としているから、いくぶん、普段からそれを利用していたという点もあるだろう。しかし、「このように伝えればよいのです」というふうにそのことを他人に伝えきる自信はない。やはり、その方法自体を伝えるというのは、よほど修練を積まないと難しいことなのである。
 算数や国語を伝えるのに、この本が役立つか。役立つかもしれない。しかしそれよりも私はこの本に直感したのは、礼拝説教である。説教は、いろいろな立場の人が聞く。中には聖書に詳しい人もいる。だが、聖書は初めてという人もいるかもしれない。さらに、聖書について知っているかのような顔をしているベテランの信徒でも、実のところ分かっていないというケースがあることも知っている。聖書をそうしたすべての人に対して同じように語ることはできないのだが、説教は一つの言葉で語りきってしまわなければならない。この難しさである。それを考えるときに、この本は大きなヒントになると思ったのだ。そして、事実その通りだったと思う。
 聖霊が伝えるのだ。たしかに、そうだ。しかし、アメリカの説教についてのアドバイスをするブログがあって、そこにも書いてあったのだが、ビジュアルな伝え方も取り入れていく必要があるからパワーポイントの活用も望ましい、ただし説教者自身もそのビジュアルの対象の一つである点も忘れてはならない、という。こうした指摘も、この本のアドバイスするところとまた重なってきて、より効果的な態度をとることができるような気がしてきた。聴衆のひとりひとりに最初に目を合わせておけば、その後はひとりひとりに語りかけているように思ってくれる、などの点も、その通りだと拍手したくなるわけである。
 こんなによい方法を公開してよいのだろうか、と心配するほど、これは実用的で役に立ち、しかも的確な指摘が多かったと思う。ぜひ、牧師など説教をする人には一読して戴きたいものである。もちろん、こうした方法論で説教は語れるものではなく、聖書の理解と神との個人的な出会いが必要不可欠なのであるが、それでも、方法が下手なばかりにわざわざ損をすることもない。この世の知恵だとは思わず、聴衆を愛する一つの行為だとして、学んだらよいと思うのである。




Takapan
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