本

『図書館は本をどう選ぶか』

ホンとの本

『図書館は本をどう選ぶか』
安井一徳
勁草書房
\2205
2006.9

 まず、著者の若さに感心した。24歳になる歳に、これだけの著書を世に送っている。国立国会図書館に勤務している人だという。
 頭の良い人の論文は、そう簡単に読めるものではない。また、図書館学という内容にも見識がないので、どのように資料を理解して読み進めばよいのか、難しく思った。
 ただ、この本のテーマについて、よく私も思うことでもある。図書館は、買う本と買わない本とを、どのような基準で選んで決めているのだろうか。えらく偏りがあるように思えることもあるし、自分だったら思いもよらない面白い本に出会うこともある。専門書などは期待できないにしろ、一体誰がこんな本を読むのかと首をかしげたくなるような本がやたら多く並んでいたりもする。たとえば、同じコンピュータでも、やたら専門的な処理についての本が多いのだ。
 多大な税金が使われているのだ。そして、そこから得るものは本当に大きいのだ。自分の関心のない分野も、他の人には大いに関心があったりする。しかし、限られた予算の中で、図書を収集しなければならない。では、何を買うのか。
 大きく分けて、人々が読みたい本を置く、という考えと、人々が読む価値のある本を置く、という考えとがあり、論者において分かれるのだという。ただし、日本に置いてこうした議論は、実は殆どなされていない。この本は、そうした議論の必要なことを教えてくれる。
 市民のニーズと、教養的価値との間で、基準は揺れ動いている。その対比はもちろん気になるところだが、図書館の本が、ただの気休めとして存在しているのか、それとも、何か文化的価値を生産すべく期待されているのかは、簡単には決められない部分があるだろう。
 だが、著者の眼差しがは、そのどちらをすでに選んでいるかは、やはり現れてくるものである。最後には自分で反論まで準備し、それに答えているなど、この著者は、なかなか周到なところがあるものだが、やはりどこか若さが表に立っているような印象をも与えた。
 図書館のお世話になっている者の一人として、私には、やはりその購入選択価値基準というものは、市民も参加していってしかるべきではないのか、というふうな思いがしたが、読み捨てられる本を複本複本と置いていくようなことは、どうなのかと思う。誰もが読みたくなり買うことが十分可能な本への人気が集まるために、同じ本を10冊も揃え、しかし数ヶ月もたてば誰も読まなくなる、という事態は、あまり賢い図書費の使い方ではないのではないか、と。
 でも、これは私の素人感情である。実際に選択する側は、難しいだろう。公務とは、本来このような難しさのもとに成り立っているはずなのだ。




Takapan
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