本

『天皇とキリシタン禁制』

ホンとの本

『天皇とキリシタン禁制』
村井早苗
雄山閣出版
\2415
2000.4

 キリシタンの本を読んだもので、少し気になって、図書館に行った。天皇の名を付けたキリシタン研究書があった。
 はて、キリシタンは秀吉や徳川幕府が潰しにかかったとは聞いているが、天皇がどうしたのか。天皇はたいてい飾り人形のように宮中に祀られているだけではなかったのか。  そのあたりが、歴史資料と共に描かれている本である。そうした資料を見慣れない私は、意味を解するだけで難儀なところもあった。多分に上っ面を撫でていったに過ぎない。しかし、時折はっきりと著者の意見が示してあるので、訴えたい点はそれなりに拾うことができたのではないかと思われる。
 それでも、不安だ。細かいところの資料はじっくり読んでいないぞ。だいたいこんなふうなことが論じられていたのだろうか……。
 私は後悔した。
 ぬかった、と思った。
 通常、こうした類の書物は、目次もだが、まえがきやあとがきに目を通してから、本文を読む。特に専門外のことについては、頭の中にカテゴリーが作られていないものだから、少しでも予備知識や、まとめ、あるいは執筆の意図などを知っておき、その枠組みで捉えようと努めることにしているのだ。そうしないと、どういう地平を見ながら論旨を辿ればよいのか、把握し損なうことが多々あるからだ。
 しかし、それをせずに私はこの本に入っていった。そして、苦心してなんとか眺め通して最後まできたとき、本文の後に「むすび」という章を見た。普通ないタイプのタイトルの章である。それを見て愕然とした。この本で述べられてきたことの、きわめて分かりやすい要約が記述されていたからである。実に簡潔に、ストレートに、要点がつなぎ示されている。
 初めから、ここを読んでいればよかった。そうすれば、決定した枠の中を心地良く本文が、水路を流れる水のように下っていったことだろう。
 だが、後の祭りだった。
 最後にある「あとがき」はたんなる挨拶のようなもので、それから参考文献、そしてきちんとした索引が付せられていた。
 実は、大変親切な本であったのだ。
 と、こんなふうなことばかり記すのは、失礼であるかもしれない。歴史の中に隠れがちな天皇の行動であるが、キリシタンに対しても、天皇自らが意図して排斥に動いたことがあった、という事実は、印象的だった。宣教師の捉え方と日本側のとの違いも興味深かった。ただ、しょせん大名などの権力者にとってのキリシタンとは何かだけが描かれるのは、致し方ないところだろうか。サブタイトルにも――「キリシタンの世紀」における権力闘争の構図――とあった。キリシタンをどのように権力が理解し、取り扱ったか、というテーマであるので、それはそれでよいと思う。気になるだけである。庶民のキリシタン信仰は、どんなふうに強かったのか、など。
 とにかく、通常の歴史書では知ることのできない資料が並べられているような気がして、面白かった。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system