本

『炭鉱太郎がきた道』

ホンとの本

『炭鉱太郎がきた道』
七尾和晃
草思社
\1785
2009.3.

 上野英信さんの『追われゆく坑夫たち』に続いて、教会の方に勧めて戴いた本である。筑豊の炭坑のことを記した本は、それなりにあるのだが、この本のポイントは私にとり、ずばり、キリスト教を描いていることである。本文にも記されているが、炭坑とキリスト教との関係に触れた記録が見当たらないというのである。
 山の神というものはよくある話で、炭鉱においても祀られていたことが分かっている。むしろ、ヤマの安全を図るためにも、それは必需のものであっただろう。だが、炭鉱そのものが江戸時代からあった歴史に触れ始めると、少しばかり状況が変わってくる。つまり、当時御禁制であったキリシタン信仰の者が、長崎あたりを追われて出て行く先が、炭鉱であったりするのだ。
 明治期に入っても事情は同じで、海外からなんとか入ってきた宣教師が、キリスト教徒の面倒をみるということになり、炭鉱の村に入っていく、ということが起こっていたのだそうだ。
 そういう話は、なるほど聞けばあるかもしれないと理解するが、私もこれまで知らなかった。いよいよ、キリスト信仰をもった人々が、古くからたくさんいて、それぞれ散らばっていったという有様がよくうかがえるわけで、今こじんまりと教会がお年寄りでまとまっているという現状について、たんに後継者だとか社会貢献だとかいう問題のほかにも、根本的な問題を含んでいるのではないかと思えてきたのである。
 さて、著者は石川県出身のルポライター。黒い手帳と呼ばれた、炭鉱労働者のいわば失業関係の書類にあたる手帳を求めて九州を訪ねる。ついには、一時住み込んで、かつての炭鉱労働者を捜し、接し、話を聞く。そこから、この本が生まれた。
 私は、先に上野さんの本を見ていたので、背景はそこそこ頭に入っていた。そうした状態で読むと、ここに現れた人々の語る内容に少しでも近づくような気がしてくる。少なくとも、言っていることが分かることがある。しかし、そうでなければ、どうだったろうか。人とのふれあいについての記録は味わいがあるし、情景描写はなかなか美しいのであるが、背景となる事情について、この本だけまず読むと、読者は戸惑うかもしれない。いや、それを著者のせいにするのは酷かもしれない。それほどに、炭鉱という社会が、現代では分かりにくくなっているのである。この黒い手帳そのものがそれを象徴しており、いろいろ訪ね歩いても、なかなか現物に出会うことがない、そういう過程が描かれていた。
 筑豊からは、ヤマの火が消えた。そこに暮らした人々の生き方は、今でなければもう記録されえない時代になっている。上野さんのように、あまりに悲惨な状況がここに描かれているとは思えない。まさに現場で労働した者と、後に訪ね尋ねた者との違いがそれであろう。その意味で、生き生きとした具体像が、聞き書きに頼る上でやや浮かびづらいところがないわけではない。だが、最初に触れたように、キリスト教信仰の存在について章を割いたという意義は大きい。案外、こうしたことはキリスト教内部ではなされていないものである。
 図解がないのでやはり炭鉱の生き生きとした姿が思い浮かべにくい構造になっているが、ルポの苦労は伺える。さらに持っている情報を開示してもらえないか、それをまた世に問う機会が著者に現れないか、期待してみよう。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system