本

『シンボルで綴る聖書』

ホンとの本

『シンボルで綴る聖書』
今橋朗
日本キリスト教団出版局
\1680
2010.12.

 CD−ROMが付いている。この本に掲載されているシンボルのイラストが、すべてデジタルデータで収録されている。
 これはありがたい。このデザインを、早速教会の印刷物や、ポスターなどに利用できるのだ。もちろん、たんなる複写や再頒布、商用利用はしてはならない。だが、教会の印刷物に使用することには何の制限もないというのだ。
 これらのイラストは、著者の描いたものである。牧師であり、神学校校長でもある著者が、様々な歴史的資料を調べた中で見いだした図像をヒントにして、あるときはそれを真似て、あるときはそれらを組み合わせて、またあるときは全くオリジナルの発想で汲み上げるなどして、描かれている。そのオリジナルというのは、直接入手しやすいレベルで図像そのものが見つからなかったとか、紹介するのに適切でないと判断されたとか、そうした理由であり、シンボル性そのものは、歪められていない。
 古来、イスラムほどの徹底さはなかったにしても、キリスト教は、ユダヤ教の後を継いで、極力偶像礼拝から離れようとした。そのため、神々しいものを思っても、なかなか図像には踏み切れない一面があった。しかし、信仰を形にすることは、メッセージの伝達の上でも、有用な面があった。殊に、文字の読めない大衆に福音を伝えるには、その文字なるものが使えないのであるから、図により聖書物語や教訓を示すということがどうしても必要だった。ステンドグラスの多くは、そのように聖書の内容を教えるために作られたとも言われている。
 つまりは、シンボルというものが求められたのである。形にできない、かといって、文字で表現しても伝わらない、このジレンマを打破するために、象徴という手段が講じられたのである。そして、これなら、偶像礼拝にはならない。
 この本は、比較的薄い本である。だが、CDを考えると、さして高額だとは感じられない。いや、むしろ私は読んでみて、安いと感じた。というのは、その象徴についての一頁単位での短い解説が、実に的を射たもので、簡潔明瞭なのである。よくぞこれだけ短い文で要点が記せたものだと文章能力の点からも感心したが、それ以上に、そこに満ちたスピリッツがキラキラ輝いているのである。私は、これをゆっくり見ている中で、聖書の言葉に光が射して、「あの言葉はこういう意味だったのだ」と気づかされることが度々であった。霊感に長けているとでもいおうか、この本を見ているだけで、聖書の中の疑問点が解決したり、いろいろな聖書の事項が結びついたりするのを覚えたのである。
 これは大切なことである。時折教会で説教を担当することがある。そのときは、まさに単なる聖書解釈だけで終わるわけにもゆかないし、自分の趣味で聖書の言葉をこじつけるようなものであってもならない。メッセージ性も必要であるし、しかも聖書に正しく根拠づけられていなければならない。いや、第一にそれは神を礼拝することである。神の御言葉から恵みが注がれるようであるべきだし、聖書の中のいくつかの言葉が有機的に結びついて、神の栄光に参与するものでありたいと願うばかりだ。となると、このシンボルの本、いろいろばらばらでしかなかった聖書の言葉が結びつくとなると、なんと福音メッセージ的であることかと驚くほどである。
 歴史的な観点からも、どうしてそのシンボルが尊重されるようになったかが時折示される。すると、聖書の意味がまたより迫ってくることにもなりうる。また、ギリシア語などの原語の使われ方が絡んで説明されると、当時の人々がどういう考え方をとっていたのか、より身近に感じられてくる。その生活次元から言葉なる聖書を理解するということは、本当は、解釈のイロハであったはずである。自分の立場からだけの視野で、聖書がすべて分かったなどと思いなしてはならない。先人たちの信仰とそこから結実したシンボルの知恵をそばに寄せることにより、聖書を神の言葉として抱き信じ貫いた人々の愛の業に、自分も加わることが可能になる。こうした営みを現実にするために、この薄い本の果たす役割は、決して小さくはない。言葉少なで、しかも深い、恵みの一冊であった。




Takapan
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