本

『立ち上がり、歩きなさい』

ホンとの本

『立ち上がり、歩きなさい』
加藤常昭編
教文館
\2400+
2008.8.

 説教塾が加藤常昭先生を中心に、本書発行より20年前に立ち上げられたことで、日本の説教に命が流れ始めた。それまで命がなかったという意味ではない。ただ、説教とは何か、説教を神のことばを語る出来事にもっと近づけたいという思いを抱く人々がつながり始めたわけで、そのことについては私も大いに喜びたい思いである。
 学び合っている。200名ほど参加者がいるのだそうである。教派にも垣根はない。説教に関心のある方なら集まってよいのではないかと思う。中には、私が直接知る牧師も名を連ねていたので驚いた。
 本書は、そうして集まった牧師たちの説教により成り立っている。互いに説教を研究し、発表し合い、批評し合うことで、よりよいものにしていきたいと学び合っているのである。そうした牧師たちが、自分の中のイチオシの説教をここに持ち寄った。それをシェアしようということで、一冊の本にまとめられた。主宰者だけは複数の説教があるようだが、基本的に一人ひとつである。それが、選ばれた聖書箇所の順番に並べられて、今回分厚い本が成立した。約650頁ある。だから、頁数に比しての価格は抜群に安い。安いが、これはもう恵まれっぱなしの本なのである。
 私はどれだけ泣いただろう。さすが、良いものを持ち寄っただけのことはある。説教塾で学び合った成果でもあるのだろうが、とにかく聞き惚れる(読み惚れる?)説教が多々あった。今回この「立ち上がり云々」はある説教の中で大きく取り上げられることがあったのだが、全体的に、励まされる説教が多いことは間違いない。説教はそのようでなければならない、という見解のようにも見える。副題に「イエス・キリストの名による説教」と付せられており、今回の研修目的が明確に伝わる。イエスは私たちと出会う。私たちにことばを下さり、また手を差し伸べる。まず先に、そのイエスの救いがもたらされる。それから次に、私たちもイエスに手を伸ばす。立ち上がれましたよ、あなたの力です、と感謝しながら立ち上がり、そしてイエスに従って歩み始めようとするのである。
 今生きておられるキリストを紹介すること。説教の使命はこれに尽きる、と編者は言う。このことばが届いたとき、読者は立ち上がることができるであろう。その目的はきっと果たせる、そのような確信がそこにはある。なにぶん、イエス・キリストの名によって歩け、と命ずるのである。私たちは、立ち上がることができるに違いないのである。
 ちなみに、ここにラインナップされた牧師の中に、私がだいぶ前にその説教を聞いた方がいる。その後この説教塾に入られたようだ。そのことも知らなかった。それで、塾以前と以後とを知る唯一の例となったわけだが、読んで驚いた。どう表現してよいか分からないが、違うのである。以前もよい説教をなさっていたが、自分の目から見てどうか、地上の視点からの語りが強かったように思い起こす。それが今回は、神の視点からの景色が語られているように感じられたのである。もちろん、だからと言って空理空論を述べているのではない。いまの視点が、神のことば、聖書の上からの恵みというものを、強く感じさせるものであったと感じたのである。
 いまや無牧の教会も10%を上回るともいう。そのようなところでは、たとえば、本書の説教を毎週主日ごとに、ひとつずつ朗読しては如何だろうか。十分恵まれる。一年間分は十分にある。礼拝に相応しい説教ばかりである。そして、力が注がれる。こうした命あることばが語られていく教会でありたいと願う。牧師がいながら、うした命に満ちることのない教会は、もったいない。聞く耳をもたない信徒ばかりでは、教会は枯渇する。どちらにしろ、命がない。確かに、日本の教会は、説教により、変化していくだろう。本書は出版して十年と経たないうちに、忘れ去られ、意に介されなくなってしまっている。私は、こうした説教を大切にしない雰囲気こそが、そもそも命についての現状を象徴しているのかもしれない、とすら思う。きつい言い方かもしれないが、説教が神のことばからなされること、それが牧者を、また信徒を変えるものであることを、もっと中心部に置いて教会が変えられていくようであるべきだと強く考えるものである。




Takapan
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