本

『くちびるに歌を』

ホンとの本

『くちびるに歌を』
中田永一
小学館
\1500+
2011.11.

 映画で見た。とても良かった。同じ九州ということと、キリスト教会が出てくることとで、だいぶ株が上がっていたのではあるが、ストーリーや描き方も非常に良かった。若い世代の傷つく心が、的確に描かれていたと思った。
 これはノベライズではなくて、小説が先である。小説を映画にしたのであるが、こういう場合、モチーフとしてだけ用いて、ストーリーは無関係という場合もありうる。アナと雪の女王の場合、アンデルセンの名は持ちだしているが、たったひとつの場面しか共通していないとも言われた。ジブリの風立ちぬの場合は、並行してはいるが、原作を描いたとは言えない。
 この本の場合はどうだろう。一見、原作をそのまま映画にしたのだという気がして、私の場合は先に映画、そして小説という順序になった。すると、確かに同じ設定で、と思ったものの、何かが違う。いや、だいぶ違うぞ、というふうに思いながら読み進んで行くことになった。もちろん、映画だからオープニングも小説と違う効果をもたらすなどという表現方法はありうる。しかし、どうにもキャラクターが違うのである。
 そう。私は先に映画を見たせいがあるかもしれないが、映画において、先生を含む三人の背負った「十字架」(世間でよく言う意味での)が、それぞれに切なく深く、鑑賞者の心にも刻みこまれてくるのに対して、小説のほうは、男の子の桑原君の部分は比較的多く扱われていたが、女の子のナズナは映画よりは浅く、さらに柏木先生に至っては全く映画の中の苦しみというものがなかった。そうなると、小説は、中学生二人の心の動きが交差されているだけであるのに対して、映画は先生の心の傷を含め、三つ編み状態で展開しているのだった。
 どちらが良いとか悪いとかいうわけではないし、私が偶々先に映画を見たから思うのかもしれないが、映画の深みをより力強く感じた点は否めない。逆に言うと、映画監督は、原作のメロディを辿りながら、さらに変奏曲とし、あるいはまたアレンジを加えて、立体的な演奏の作品に仕上げたのではないかということである。
 だから、先生がピアノをいきなり弾いているシーンが小説にあると、戸惑った。映画では、ピアノが弾けない理由があり、その弾けない背景が探られていくという展開が最後まで糸を引いていくからである。
 それはともかく、ここは原作のことを取り上げればよいわけであり、福岡県の作者が長崎の、しかも環境も歴史も大いに特徴のありすぎる五島を舞台に描くわけで、同じ九州だから描きやすいなどということもなく、ずいぶんと苦労されただろうと思う。しかし、カトリック教会が普通の風景であり生活環境であるこの島の様子も、不自然にならず関わってくるし、そこに重なってくる合唱という主題が、読者の心を揺り動かすように響かせているのを覚え、小説でありながら、確かに音楽を感じるものとなっていたように思えた。
 音楽はいい。人の感情を揺すぶる。それでいて、ただの感情には終わらない。人の心の中にある、形にならない考えや論理といったものも、自然に表に出せるように促してくれる。理性で冷徹に、と思っても、涙が一筋流れていく。自分の中に、こんなものがあったのか、と気づかされることもある。絵もいいが、音楽がいちばんのその力をもっている。合唱部を通じて心が交流していくさまは、青春でもあるし、壮年や老年になっても共感できる読書体験ではないかと思った。
 そしてまた映画を見たくなった。




Takapan
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