本

『小預言書の福音』

ホンとの本

『小預言書の福音』
高橋秀典
いのちのことば社
\2000+
2016.1.

 この著者については、先に大預言書とされる4つの預言書についての本で私は知り、非常に読みやすく、鋭い指摘を受けて喜んでいた。このたび他の比較的短い預言書について同様の本が出ると聞き、発売を楽しみにしていた。
 なにより、原語のニュアンスを、しつこくない程度に適切に指摘してくれるのがいい。日本語だけのイメージで勝手に意味を制限することのないように、預言者そのものがどういう意図で何をその意味に含ませて訴えているのか、説明してくれるのである。
 また、その預言の内容を、私たちの生活の中でたとえばどういうことにあたるのか、フィードバックしてくれるのもいい。あまりに具体的すぎると支障が起こる場合もあろうが、人が個人的にどういうふうなことをやりがちなのか、それはこの預言書の指摘と同じことなのですよ、と臨むわけである。これは、牧会者としては当然のことなのかもしれないが、これがないと聖書を説く意味がないとも言える。いわゆる「適用」である。聖書は、自分がそこに参与しない、ただの知恵書であるわけではない。その中に自分が関わる、いや、自分が登場していく。この読み方を省くとき、聖書はいのちの書としての恵みを自分には与えてくれなくなる。
 ただ、著者の意見ではあるだろうが、政治的な指摘も少なくない。現政権のしていることが、この預言書の批判しているようなことではないのか、ということである。そのようにして政府を裁くようなことをしているわけではないが、なかなか手痛い指摘も多い。そもそも預言書が、当時の政権への批判によって成立している側面がある以上、政治の批判をしているということは避けられないが、かなり具体的な叙述が多いので、保守政権の支持者は快く思わない場面もあろうかと思う。だが事実、弱い人の立場を蔑ろにしている面があるとすれば、そういうところは受け止めて読んで戴きたい。旧約聖書は、政治と宗教との問題を扱っている。そしてそれを現代にも生きるものとして引き受けるためには、こうした読み方は避けられないのである。
 小預言書は12ある。それぞれに冠せられた名前の人物の中には、よく人物像が分からないものもある。だが、できるだけ歴史の中に置いて、当時の政治状況を反映せた解説を試みている。そうでないと、預言者が何を見て何に対して批判を加えているのか、分からないし、伝わらないからである。そのように具体的な情況について、預言書は神の思いとして厳しい指摘を続けていく。このことは、聖書にもそれなりに分かるように書いてあるとも言えるが、十分ではない。よほど背景のイスラエルの歴史と政治的情況を理解しておくのでなければ、ここに書かれてある内容をその適切な場所に置いて理解することが難しいからである。それで、本書もその点をまず明らかにしてから、その預言書のエッセンスを読者の頭にインプットさせる。先入観がいいとは思えないが、およその枠組みを読者が有していなければ、頭の中の地図に、記されている事柄を配置することができないからである。
 どういうわけか、この著者の本は、そのページ数に関して、価格か安い。その点だけか、私の不思議に思う点である。決して、ほいほいと好き勝手に書けるような内容ではない。十分練られた上で作られたメッセージのようなものばかりである。たとえ講解説教であったとしても、これだけの内容のものを仕上げるためには大変な労苦が伴っている。どうも、お買い得だと言える。内容的にも、得るところは多いし、鋭い視点の連続に、自分も聖書をどのように読んでいくとよいのか、を教えられ、そういう指針を与えてくれるように感じてくる。一日ひとつのメッセージだけを読んでいくというのがいいかもしれない。ひとつひとつを、その日のデボーションとして、味わっていくほうが、一気に読んでしまうよりは、よいような気がするのだが、どうだろうか。




Takapan
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