本

『自己愛モンスター』

ホンとの本

『自己愛モンスター』
片田珠美
ポプラ新書
\780+
2016.3.

 ラカン派の精神医学を学んだという、著作の多い研究者である。自信のあることは必ずしも悪いことではないだろうが、それが傲慢のように膨れるということは、聖書でもよく指摘される人間の欠陥である。そういう点に詳しいようにも見受けられる。
 今回、「認められたい」という病、というサブタイトルを掲げ、「自己愛」という問題についてまとまった見解を提示している。新書の出版が多いので、学術的というよりも、一般の人々に、心理学的に説明できることや、知っておいてほしい観点などを分かりやすく提供するということを使命にしているようでもある。
 今回は「自己愛」という言葉に惹かれて読んでみたのだが、私個人の期待していた「自己愛」像とはいくらか違う世界が描かれていたことが残念であった。もちろん、心理学的には、著者の告げる内容のほうがより適切なのであろう。つまり、ここにあるのは、凶悪な犯罪として結果してしまった事柄について、その犯人のどこか異常ともいえる精神的背景の中に、この自己愛に基づくような病理が見られる、ということを示している本のように感じられた。
 私の見解では、犯罪に至った自己愛だけがいけないわけではない。ひとつの重大事故の背後に一千近い問題があるなどとも言われるが、凶悪犯罪という結末にならなくても、周囲を大混乱させ、当人は人を困らせている自覚が全くない、という「人格者」がけっこういるということを経験上知る者として、自己愛の過ぎたケースの説明がどこかでほしかった。「モンスター」というのが、凶悪犯罪者というだけの意味であったのなら、こちらが勝手に勘違いをしただけなのであるから仕方がないが。
 それから、「はじめに」でいきなりショッキングな事件の概要紹介から始まるのであるが、とくに加害者ではあるが、実名で事細かに事件が振り返られているということが気になった。被害者名は出していないにせよ、加害者名が出されていれば誰でも数秒でアクセスできる。未成年者が加害者である場合は伏せてあるにせよ、事件をかなり詳しく説明する以上、またどこぞで火がつくか分からない。
 まだ裁判が結審していない事件もあるのではないだろうか。また、はっきりとした事件性により有罪云々とは関係がなく社会的非難を浴びた人について、精神疾患のなんとか症だ、というような断定口調で、傍から見た「見立て」で述べていることは、私が著者だったらとてもできることではない。一旦社会的制裁を浴びた人物に、なんとか症だとレッテルを貼るようなことをしてよいのかどうか、私は法的な議論については疎いのだが、少なくとも第三者がやってよいこととは思えない。
 心理学的な説明がたくさん施してあり、しかも曖昧さを回避するかのように、かなり言い切った形で話を展開しているように見えるため、読者はある意味で分かりやすい反面、そんなにはっきり決められるものだろうか、という思いも過ぎってくることは否めない。
 本書の「おわりに」には「ふくらみすぎた自己愛のせいで自分を過大評価して、周囲が見えなくなっているのではないか……と常に自分自身を振り返ることが必要です」と書かれ、「見立て少々のことは許されると勝手に思い込んでいると、暴走しがちです」と続いている。「ふくらむ」というのは、聖書にあるギリシア語からしても、傲慢を表す言葉として用いられている言葉であり、古来人間にとり、傲慢は同じように問題視されていたのだということで共感できるのだが、はたして私自身、著者自身、自分で気づかずふくらんでいないかどうか、「自己観察と自己分析を忘れてはいけません」との戒めを引き受けるべきなのであろう。




Takapan
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