本

『死海文書のすべて』

ホンとの本

『死海文書のすべて』
ジェームス・C・ヴァンダーカム
秦剛平訳
青土社
\2718+
1995.12.

 少し古い本だが、資料として有用な内容だった。これは、古書店で見つけた。しかも、コミックス主体の書店だったので、殆ど価値を見出していないかのような価格の付け方であった。つまりは、お買い得なのだった。
 死海文書は、第二次大戦後に偶然の産物のように見つかったもので、その流通の経緯についても様々なドラマがあると聞いている。これは聖書文化についてセンセーショナルな事件であって、とてつもなく古い信頼のおける史料が見つかったということで、大変な騒ぎになったはずである。
 事によっては、聖書自体の否定性へ向かうかもしれない虞があったわけで、全世界が色めいたことは想像に難くない。しかしその断片解読が進み、またかなり整った形で遺っていた文献を調べるにつけ、逆の効果が起こった。伝えられている後世の写本が、いかに正確に作られていたか、ということである。数百年の時間を感じさせない、一致性を証明したのである。
 しかしまた、他の文献も見出された。聖書周辺の思想書と言ってよいであろう、様々な文書がそこにあった。こうして、古代聖書世界に関する思想が、次々と明らかになった、あるいは明らかになる可能性をもたらした、大発見なのであった。
 本書は、発刊当時「最新」の情報を提供している。まず死海文書の背景とあらましについて基本的な知識を提供し、写本の概略を説明する。そこにあったテクストを並べ、ひとつひとつの文書の特徴とその註解を試みる。一般向けの書籍であるために、必要以上に専門的な分野には立ち入らない。だが、専門的な調査に耐えうるような指示は怠らない。その上で、クムラングループの文書としてその法的な規定、礼拝規定などについて触れ、このグループについての考察を進める。このグループは、しばしばエッセネ派ではないかと言われているが、その理解にも問題があること、そして他の説があることも適切に並置する。こうした配慮が、資料性を高めている。つまりは、著者の主張をあまりに大きく押しつけてこないのである。
 しかし、文書の中で見出された部分については、細かく指摘する。クムランの生活規定とその教義的な部分について、できるだけ分かりやすく提供しようとしているので、読者は何かふと調べてみる必要になったときに、そのきっかけが掴みやすくなっている。
 こうした指摘の上で、ついに聖書の古い文献の検討に移る。とくにイザヤ書については貴重だといくら評価しても足りないくらいの貢献をこの死海文書は成し遂げているのであるが、そこにやはり違いがないわけではない。これについても、説が生まれている以上、それを提示してくれる。聖書をはじめ、他の文献における言及が何を意味しているかについて、なかなか気づかれないような意味を指摘する考察は面白い。そうして、これは新約聖書の成立についても関連をもっている可能性があり、推測からの断定を避けながらも、重要な考察事項を見せてくれる。そうして、新約聖書が、当時のユダヤ文化に根ざした中で成立している事情をはっきりさせていく。えてして、ユダヤ教を否定して、つまりユダヤ人を敵に回して成立したかのように見なされてきたキリスト教の歴史であるが、それは改められなければならないとしている。キリストは、ユダヤ教の中で活動した。新約聖書も元来、そのユダヤ教の文化の中にどっぷりと浸かった中で生まれ、展開したはずである。ヨーロッパが受け継いだとき、新しい文化にとり都合がよいようにあっさりと過去を取り去ろうとしたのだとすれば、これは反省しなければならない。また、私たちもその偏見から自由にならなければならない。
 こうした主張については、著者は吝かではない。だが、それに賛同しようと拒否しようと、死海文書という厳然たる事実を前にして、私たちがそれをどう受けとめていくかということは、たんに一宗教の趣味というに留まらない意味を持つと言えるだろう。信仰の背後にある文化をも意識しながら、だからこそ解釈できる文献の意味についても、襟を正す機会が与えられたのである。




Takapan
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