本

『説教者カール・バルト』

ホンとの本

『説教者カール・バルト』
加藤常昭
日本基督教団出版局
\1200+
1995.12.

 日本で説教論を語られせるならば、加藤常昭氏を第一人者として挙げることに、説教を学ぶ人で賛意を示さない人は少ないだろう。ドイツ寄りであるという点は否めないにしても、教会や伝道において、説教というものの意義を考えた生涯であったことは間違いないと思われる。
 本書は、神学者としてのカール・バルトではなく、説教者としてのバルトの姿を描こうとしている。どうやら元は、バルト説教選集の附録として添えられる立場の原稿として書かれ始めたらしい。しかし結局、独立したバルト紹介の本となるほどに、その内容も量も充実していたということなのだろう。実は著者自身、バルトに直接会うことはついになかったのだという。しかしつながりはもちろんあり、特にバルトの説教の録音があったとして、それがどうであったかを証言してくれる、貴重な部分がある。説教は、たしかに読んで完了するものではなく、聞いてなんぼのものであろう。活字には出てこない、語り口調やスピードといったものまでもが、説教という重大な神のことばの取り次ぎの一部であるはずなのだ。それを文字に捨象してすべてが終わるはずはないのである。そうして出会ったバルトの肉声から伝わってくるものを、なんとか読者に伝えたい、そういう思いが溢れているのが分かる。バルトの息吹を感じさせてくれるのである。
 ドイツでは、「福音主義」と言うことで、プロテスタント一般の教会を指すようになっている。バルトにも『福音主義入門』なるものはあるが、この名の響きに、日本におけるそれのように、聖書について保守的なグループだと勘違いしてはならない。つまりは聖書から神のことを説く営みがすべて、福音なのである。だから、福音によって生かされる私たちのことを思い、そこに喜びを見出すようになってほしいというのが、著者の願いであることが、最後に書かれていた。
 もはや古典となってしまったバルト神学ではあるが、旧いから役立たないということはないだろう。とくに古典というものは、「危機に際してこそ、その力を発揮する」ものであるから、説教者が無力であるとひしひし感じられる現代において、バルトから時代を経たとしても、決してそれは古くさいよけいなものとはならないのだというようにも訳者は告げている。自ら説教者として、そして説教塾を開き説教の大切さを若い世代に教えていこうと努めている著者である。説教者が怠慢をしているわけではないのだが、説教が力のあるものでなければ、日本のキリスト教世界は停滞あるいは衰退してしまう。その問いかけがあとがきにあるのだが、本書が発行されて20年を過ぎた今となっても、この危機は何ら減じられてはいないように見えてならない。今なお私たちに向けて、教会という舟がこれからどこに漕ぎ出していくのか、何に気をつけなければならないか、どんどんぶつけてくることを、喜ばしい朝鮮だとして受けていきたいと願う。




Takapan
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