本

『説教と牧会』

ホンとの本

『説教と牧会』
ボンヘッファー
森野善右衛門訳
新教出版社
\1800+
1975.3.

 ボンヘッファーの講義録であるらしい。しかしよくまとまっている。なめらかな展開で、不自然さがない。昔の学生はこんなにも優秀だったのだ。あるいはまた、神の言葉のために、と命がけでノートしていたのではないか、とも思う。
 タイトルにはさして深い意図は見られない。そのままである。それでよい。牧会者として、大切な営みの二つの柱について、ボンヘッファーなりのではあるが、なすべきこと、その精神はどう貫かれているべきか、そうしたことが余すところなく描かれている。
 もちろん、時代的な背景はある。ドイツという国、とくにナチスの台頭を前に、福音の危機を感じている中での切実さというものについて、私たちは今どれほどの緊張を以て福音を捉えているか、伝えようとしているか、反省させられもするが、逆に、そんなに焦らなくても、という思いが沸き起こることをも否定できない。だが、福音書はそもそも、こうした危機の中で書かれたのである。イエスはさらに緊迫した中に置かれ、そして事実そこで捕縛され、残虐な死刑台に向かっていったのである。そもそもキリスト教なるものが、このような危機的状況の中で生まれ、何百年もそういう中で展開していったという事情があるのだ。振り返ればユダヤ教もそうである。大国に滅ぼされつつ、その中で神の意志を学んでいった、選ばれた民の歴史が神の歴史を刻んでいった。
 ボンヘッファーはここに、当時の情況を反映しつつも、説教と礼拝について、実に具体的な指示とその背景にある霊的な理解のあるべき姿を語っている。ストイックなその姿勢に、私たちは感動すべきである。生ぬるい私たち自身を知るべきである。しかしながら、当のボンヘッファー自身が、現代は生ぬるいというような書きぶりをしているくらいだから、いったいそもそもキリスト教はなんと厳しいものを含んでいたことなのだろう、と改めて襟を正される思いがする。
 後半は、牧会についてである。牧師の生活と職務について、これはなかなか一般の信徒には提示されないような事柄が一気に語られる。牧師職の厳しさと大変さをしみじみと感じることを思うと、ある意味で信徒こそ、こういうところを読まなければならないかもしれない、とも思う。
 講義録であるため、小さなことについても具体的に触れられている。そのため、最後は内容的に尻切れトンボのような印象もあるが、これはまとめられた本というよりは記録である。そのことを了解して、その都度読んだ中で、大いに自分の霊的な成長のために聞き取っていこうではないか。ここから刺激を受けないのは、信徒としてもどうかしている。どういう立場で聞くかどうかは知れないが、言いようのない感動をもって、この本は読み終わることが期待できる。信徒説教者として私には、こよなく大切なものを教えてもらったような気がしている。
 発行年代は古いが、これが今なお新刊書として入手できるという事実が、この本の価値を物語っている、と言えば、卑近な態度として批判を受けるであろうか。お買い求め戴いて、味わう価値のある本である。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system