本

『説教への道』

ホンとの本

『説教への道』
加藤常昭
日本キリスト教団出版局
\1600+
2016.4.

 説教の教科書ができた。
 説教学においては右に出る人のいないような著者であり、これまで様々な角度から説教について論じ、また指導してきたものであるが、それらをコンパクトにまとめることを思い立ち、ここに実現してくれたというようなものである。もちろん、細かく言えばいくらでも言いたいことはおありだろう。しかし、できるだけ簡潔に、知りたい人に概略を伝えるということも大切な仕事である。むしろ、それが把握できなければ、細かなことも分からないし、誤解されてしまう可能性が高い。ご自分が生涯かけて貫いてきた説教に対する思い、いやおそらくは、説教として上から与えられ注がれた霊的な知恵というものを、できるだけ分かりやすく、多くの後継者に伝えたいという思いが溢れている。だから、本としては決して分量の多いものではないし、表現もあっさりしたものではあるが、こめられた思いというものにはただならぬものを感じる。
 これ一冊で、説教ができるようにしたという。
 この宣言だけでも、並々ならぬ思い入れを感じる。「これを読めば、説教ができるようになることを願って書き始めました」と最初の頁に記している。もちろん、それは神から与えられるものであるから、自力で人間の才覚でやろうとするものでないということは但し書きがしてある。しかし、それにしても大胆な宣言である。それだけ、思い入れが強いということを私たちは受けとめるべきである。
 説教が救いをもたらす、救いの出来事が起こされる、そのような確信が、著者の長年の経験から与えられた知恵であるようだ。この、序章を読むだけでも涙が出そうになるくらい、恵まれる。
 そこから始まる論においては、そもそも説教とは何かというところから始め、それを学ぶこと、またそれが目指すものを考えさせ、後半では講解説教を組み立てるまでの具体的な歩みを見せてくれます。奇妙な言い方かもしれないが、企業秘密をこんなにも明らかにしてくれるということに、私は驚きを覚える。
 説教の経験はある。私は牧師ではないが、教会の必要があって、主日の講壇を絶やさないために講壇に立ったことなどがある。説教については、数多く見聞きしてきた。通った教会の牧師の説教だけではない、聖会や特別集会でも直に様々な神学者や伝道者の名説教を味わう機会を与えられたし、音楽集会の中でのメッセージも幾多経験した。また、放送を通じ、日々そうしたものを聞き、たとえばFEBCでは日曜礼拝の説教そのものを毎週聞くことができる。もちろん、この著者加藤常昭先生の話も好きだ。そうした中で、私なりに経験的に、説教とはこうありたいと思うところは掴んでいた。万全とは言えないが、それなりの説教と言えるような形はつくることができた。ただ、それに対する神学的な根拠や裏付けというものに乏しかったのは事実である。それを、今回養って戴いたという気がする。
 とくに、最初の黙想がどれほど必要かということについては、励まして戴いたように感じる。というのは、これを実は毎日心がけて、朝かなりの時間を使って、実施しているからだ。こんなことをやってどれほど何かのためになるのだろう、という気持ちもないわけではなかった。もちろん、恵みはひとりで受けていたが、それを活かす道はあるのだろうかと思うことはあった。それが、なんとそのことがまず説教の初めなのだとずばり示されていて、心強く思った。この経験は、福音を伝えるときのベースになるというのだ。
 私の愛読書のひとつになることは間違いない。いつもここに戻り、福音を語るというのはどういうことか、聖書から何を聴き、何を伝えるかということについて、指針としたい。魂のこもった著作であるからこそ、こちらも魂で受けとめ、少しでも応えたいと思った。そして、説教をする立場の人には、必ず読んでほしいと強く願った。




Takapan
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