本

『正義という名の凶器』

ホンとの本

『正義という名の凶器』
片田珠美
ベスト新書402
\800
2013.5.

 マスコミへの露出のある、精神科医の手による、世相の解説のような本。
 著者自身、はっきりと胡散臭いと評する、巷の「正義」を、その心理の面から暴き批判するという内容である。同じひとつのことを終始述べているわけで、読者としては非常に分かりやすい。また、行間の空き具合とページ数からしても、量的に軽く読める本となっている。だから、価格設定が高めに思われることは別にしても、その一つの指摘というのが、読者にどう響いてくるか、というところが今後の課題であろう。
 その一つのことを、ここで明らかにしてしまうと、営業妨害ではないか、とも思われるが、ある程度は触れなければなるまい。本の帯には「正しければ何をやっても許されるのか?」とある。書店の戦略だからこのコピー自体をとやかく言っても仕方ないが、おそらくここで「正し」のようにカギカッコを使ったほうがよいだろう。この本で問題になっている行動の主体が自らの行動において「正義」と見なしていることについて、著者は一定の距離を置いている。また、その「正義」は、専ら自分自身には適用されない性質のものとして心に抱き、相手を責める大義名分にしている道具となっている。
 なんのことはない。「あなたはどこにいるのか」という、創世記の問いかけであるだけである。つまり、行為者は、自らを神としているのである。
 著者はこれを、精神科医らしく、心理的・精神病理的に、自分の中の欠陥を覆いかくそうとする無意識の働きと共に解明している。この辺りは直接本書でご確認願いたい。
 いくつかの最近の芸能界における「事件」を取り上げ、特にネット依存と思われる人々によりそれがどう展開するか、またその根柢に何があるのか、などについての意見を告げていく。自己愛人間のもつ心理とそこから及ぶ行動として説明されていく。
 私はそうした精神医学の領域における知識がないので、その適否は判断できないが、宗教的あるいは哲学的な観点から見ても、妥当な見解であろうとみてよいだろう。特に、自分自身と向き合うことができないでいる、という点は、考えさせられる。ここから、キリスト教の「罪」意識がない、と言うこともできるし、逆に、そうした「罪」を認めたくないので、教会や聖書にまともに近づこうとしないのだ、というふうに現象を解読することもできるだろう。
 商業主義などに乗せられてのことでありながらも、欲望を無限に掘り起こされていくことで、自己愛を促進され、限りないところにまで突き進むようにさせられていく様もよく描かれている。俺はこんなもんじゃない、というのは、パロディのようなつもりかもしれないが、俺はまだ本気出してないだけ、といったタイトルのマンガや映画にもなっている。子ども向けの人気アニメは、こぞって「あきらめない」を合い言葉にしている。何も諦観を勧めるわけではないにしても、そうした背景を踏まえての世相と心理情況を、他人の悪を糾弾する背景に、著者は置いているようである。
 私も、他人事ではないと思っている。こうした場で、他人を批判することはしばしばである。それが、一方的に他人を裁くようなことになってはならない、と自らを戒めながらも、言われた当人や企業はたまったものではないだろう。もちろん、それなりの理由があってのことである。ただの迷惑電話についてはどうということはしないが、これはセールスではない、としつこく言い張る企業や、偽名を使って何かと電話してくる企業については、実名を明らかにしたほうが、ほかの誰かを助けることにもつながるかと思い、実行している。それでも、行き過ぎだろうなと自分で思うことが、ないわけではない。
 ただ、私としては、「神」という主体が存在している。自分をもそこから相対化して捉えている。自分を絶対者としないということだ。著者の言葉で言うと、「自分と向き合う」ということは、それ以前から、哲学的思考の中でも必ず行うものであった。そんな私でも、「正義」の誘惑に駆られることがあるのだから、自分と向き合わない人、向き合おうとしない人の場合はなおさらであろう。パソコンによるネット環境ばかりでなく、データ放送やスマホからのツィッターなど、手軽に「ものが言える」世の中になった今は、百万通りの「正義」が、ひとつになって、挙げられた一人を攻撃するということさえ普通に起こり、またその行為に罪悪感などを持つこともない。いつまでも自分は正義の味方なのである。聖書を読んで、自分が神の前に罪人であるのだという視点を与えられるだけでも、この加害行為からいくらか遠ざけられるだろうに、と思うと悔しい。
 世の中の悪を見たら、自分もまたそれを犯していた、あるいは、犯しかねない、という自覚があるだけでも、この書に挙げられている事態に突き進むことを避けられるかもしれない。そういう思いで、私は、痛みをもちつつ、人の悪には目をつぶらず、共に自覚しようではないか、と提言していきたいと考えている。
 ところで、本書のタイトルであるが、「正義」が「凶器」である、というのはそれはそれでよいし何のブレもない、よいタイトルであろうかと思うが、キャッチコピーを見た辺りから、私は別のように睨んでいた。その通り、タイトルの「凶器」は実は「狂気」と言いたかったのであることは、本の最後にようやく明かされていた。いろいろな理由があって、この言葉を本のタイトルに使うことを避けたのであろう。自分の悪を意識しないことは、人間の狂気であるということを、著者は根柢に捉えている。人間が自らを神とすることは、確かに狂気である。
 本書のレビューの中には、この本が問題を指摘するばかりで、そこからの解決や救済がない、と批判している声も多いが、それもまた、著者からすれば、「正義」の振りかざしであると言われるかもしれない。それは読者自身が、自らに問えばよいのである。「あなたはどこにいるのか」「あなたは何をしているのか」と問われたことに対して、どう応答するのか、黙考するとよいのである。解決するのは著者ではない。ひとりひとりの読者であり、各市民なのである。




Takapan
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