本

『錯視入門』』

ホンとの本

『錯視入門』
北岡明佳
朝倉書店
\3675
2010.6.

 高価だが、楽しい本である。
 正方形の版の頁の、左が文字解説、右が錯視の図像となっている。従って、説明は無視して右側だけを見ていけば、それだけで楽しむことができる。妙な風景に目を白黒したり、目が回りそうになったり、様々である。少しばかりそのことについて詳しく知りたいと思ったら、左の頁を読めばよいという寸法である。
 目の錯覚という言葉で、子どもでもよく知っている。本当は同じ長さなのに、どうしても違う長さに見えてしまう。同じ絵が違う絵に見え始める不思議。凹んでいると思ったら飛びだしているなんて。そんな不思議な体験を、子どもはどこかの本で出会って知っている。
 この本は、その錯覚、すなわち錯視について、様々な分類の下に、それが見出された経緯やその効果の利用などについてまとめあげたものである。
 見ていて目眩がしそうな錯視もある。中でも私が笑ってしまったのは、「顔ガクガク錯視」と名付けられたものである。目と口が上下に二重に描かれた顔のイラストである。そもそも気味の悪い絵となってしまうのであるが、私たちがその目を見ようとするせいか、どちらを見てよいか定まらない視点の故なのか、顔が上下にぶれて見えてしまうというものである。インターネットの世界でも一部で有名なものらしい。その頁には、顔というものをさかさまに見ると元の顔よりも大きく見えてしまうという減少を筆者が発見したと記してあった。逆さまのものが何かまともに見えていないというのは確かにうっすら感じることであるが、こうした現象の原因が定かになっているというわけでもないらしい。
 そもそもメカニズムがあってこのように見えてしまうというものでもないのであろう。人間には何か訳があって、ある見方ができるように調整してある一方、通常想定されていないある場合において、科学的数値に見合った見え方ができていないというのは、十分ありうることである。また、それでよいのである。
 狭いところでは、圧迫されるので同じものが比較的大きく感じられてよいだろう。広いところでは、より小さく感じられても当然だろう。人間の目は、科学的数値としては相当暗いところでも、かなり明るく感じて見えるようになっている。それは便利なことだ。それを、何も光度を測る機器と同じように見えないからだめだ、などという必要はない。暗いところではより明るく、明るいところではより暗く見えたほうが都合がよい。だから今度は、周囲が明るいか暗いかによって、同じ明度のものが、黒っぽくも白っぽくも見えてしまうという錯視があることが明らかになる。
 それでいいのだ。人間の目は、相対的な尺度で役立つように出来ていたほうがいいのだと思う。だからこそまた、自分の目に見えるものを絶対視することが、いかに危険であるかということも分かる。オレが今見ているから事実なんだ、と信じ込むことは、時に危ない。自分には偶々そう見えているだけであるのかもしれない。そのくらいの謙虚さを以て世界を見たほうが、互いに争わないで済む。これはどの立場にいる人間であっても、味わって然るべきことである。もちろん、私などはその筆頭である。
 また、一神教は危険だ、というテーゼに凝り固まった、自称寛容な者が、いかに誤りであり迷惑千万な存在であるか、それがはっきりするだけでも、こうした錯視の指摘は、十分に世界平和に寄与するものとなりうるのである。




Takapan
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