本

『まさかさかさま 赤の巻』

ホンとの本

『まさかさかさま 赤の巻』
絵・文 伊藤文人
サンマーク出版
\1365
2009.4

 これは楽しい。
 それがどういう種になっているか、知らないわけではない。上下逆さにすると、それまでとは全然別の絵に見える仕掛けになっているというわけだ。子どもだましと言えばそれまで。また、どうしてもそれらの絵は、どこか無理がある絵となっており、逆さにしてから気づくことだが、元々絵の中にわざとらしいものがある。
 ところが、この逆さにしてから気づく、というところが実はポイントでもある。なんとなく、これが足になるのだろう、というふうな見当はたしかにつくのであるが、いざ上下逆にすると、驚く効果が必ずあるのだ。上下逆の向きでは、少しの予想はつくにしても、本当に逆にすると、全然予想しなかった見え方になるのだ。
 錯視というのがあり、若い女性に見えたり老婆に見えたり、というのがある。杯のシルエットかと思いきや、向かい合う2人の顔であった、というのもあるし、ウサギと鴨の絵も有名である。だが、この逆さの妙技は、そういうのとも違う。見る上下関係が変わっただけで、誰にもそのように見えて仕方がないのだ。心理的に自分で見方を変える、というふうなものではないのである。
 日頃見慣れている風景が、見るアングルを変えることによって、違う新鮮みをもって見えるというのは、ありうることである。天橋立などはその最たるものであろう。上下逆に見た島の風景は、天へと続く橋のようである、というのだ。
 おそらく、人間には、重力という重要な方向性の中で生きている故に、上下については厳しく認識条件が整っているのであろう。左右はそれより緩いから、鏡の中を見ても左右の変異はさほど違和感を抱かずに見て行動することができる。しかし、鏡の中でもし上下が変わったとしたら、感覚としてまともに対応できないのではないだろうか。画面の迷路を指で辿るというそれだけのことでありながら、上下が逆になった映像を見ながら手を動かすと、まず正しい方向に曲がることができない。
 そして、作者自身述べているように、線描きでは難しいところを色により逆さの絵を造り出しているのであるが、その絶妙の配色と効果については、全く脱帽である。人間の心理を、直観的にでも把握していなければ、こういう絵本を造ることは不可能である。いったいどういう心理学的説明がある故に、このような上下の相違に気づかない心理があるのだろうか。素朴であるが、深い問題を含んでいるような気がする。
 ただ、そんな理屈は置いておいても、とにかく、楽しくひっくり返して見たら、それでよいのだろう。楽しむことのできる絵本の一つなのである。




Takapan
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