本

『差別と日本人』

ホンとの本

『差別と日本人』
野中広務・辛淑玉
角川oneテーマ21
\760
2009.6

 広く読まれた本である。ケンカ好きのようなイメージがあるかもしれないが、言いたいことをきちんと言うという精神で貫かれた辛淑玉氏が、殆どそのケンカの相手なのかとさえ思われかねない野中広務氏と対談をするという企画である。
 対談というのは、読みやすい時と、読みにくい時とがある。二人のその場の雰囲気を知ることのできない読者は、活字という中で、二人の空気がどうしても読めない場合があるのだ。あるいは、それを誤解して受け止めていると、内容の理解を外すことも大いにありうるわけだ。
 しかし、この本は読みやすかった。私との相性なのだろうか。いや、差別について甘い理解しかしていないこの私が、二人の話す内容に圧倒され、申し訳ないという思いを抱き始めたからだろうか。
 内容を細かくここで伝える必要はないだろう。とにかく日本人のものの考え方に深く根付いた差別の意識を、悉く暴いていこうというくらいの仕掛けを感じる。これくらいはっきり示して戴かなければ、差別という言葉の意味さえ私たちは分からないのであり、自分の中に差別を起こすものがあり続けるということに気がつかないのである。
 野中氏は有名な政治家であった。ただ、その出自にいわゆる部落問題が関わっていたため、一風かわった政治家であった。その経緯や背景が、この対談には必要なものが十分に明らかにされている。単に平和だとか部落解放だとかを叫んで要求を通そうとするような考え方ではなくて、様々な駆け引きの上で結局勝って主張を通すのでなければ政治家とは言えない、と言わんばかりに、時にぶつかりながら、交渉に挑む。
 生まれは京都府の園部。私の義父は福知山市だから、京都との中間にある町である。しかし風景その他は福知山に明らかに近い。野中氏はそこの地域から政治の舞台に出て行った。そして、差別の意識を極めて政治的に解決していきたいとの努力を続けてきた。まるで政治の教科書のようでもあったが、ご本人は、そんなつもりではないと否定なさるだろう。
 阪神淡路大震災において、差別ゆえの悲しみがあったことも知った。オバマ大統領も、差別的にどう扱われているのか教えられた。なにしろ野中氏自身、辛淑玉氏の指摘により、知らなかったことを学んだなどと謙虚にあとがきに添えられているのである。この本は、戦後処理のまずさなどを指摘しているが、それ以上に、現代史の中での出来事やその裏にあった考えなど、歴史的な価値を大いに示してくれているように感じる。
 明治政府の四民平等が、徴兵対策の意図があったことなど、言われてみればああそうかと思えることでも、なかなか上滑りな日本史の理解では気づかない背景である。差別問題に真っ向から取り組んでいる方々の苦労を垣間見ると共に、政治の背景に何があったかなどの指摘も興味深く、読んで役に立ったという印象が私にはある。
 差別は原理的におそらくなくならないだろう。だが、それは差別なのだという意識をもつことができるようにはなれるだろう。そうありたい。そうでなければならない。気づかないうちに、私は誰かを差別しているのだ。追い込んでいるのだ。
 それにしても、明治以来の政府による、あるいは人々による差別の実態がはっきりするにつれ、震えが出そうになる。そんなことが平気でできたのだ。そして、差別対象があるから差別されるというよりも、差別しているうちにその理由が固まってくる、という方向性も教えて戴いた。それはそうなのだ。だが、それをきっちり伝えようとする本は、決して多くないのである。




Takapan
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