本

『「ろう文化」案内』

ホンとの本

『「ろう文化」案内』
キャロル・パッデン,トム・ハンフリーズ
森壮也・森亜美訳
晶文社
\1890
2003.11

 アメリカにおける、ろう者たちの実情を描いた本である。
 それが、言語学などを専門とする研究家夫妻の手による本であること、その二人ともがろう者であるという点が、特異である。
 アメリカのろう者がどういう状況に置かれているのか、それを文化として示すことが、大きな目標であるという。彼らは、そのために世界をも巡っている。比較文化の領域であろうか。そして、国により文化が違うのと全く同じように、手話にも違いがあることも理解する。日本語で「文化」と呼ぶ言葉とは違った重みで、この言葉が捉えられているように見える。ろう者の世界は、聴者に対して欠如した、あるいは劣ったものだと一般に見られているが、そうではないのだ。
 アメリカ生活における、生き生きとしたろう者たちの生活の様子が伝わってくる。かなり具体的に、場面が切り取られて紹介される。妙な抽象化を図るよりも、実際の現場をレポートすることにこそ、説得力もありそうだ。だが、手話自体が、抽象的なことよりもより具体的なことを示すほうをモットーとする面があり、それ故の文面であるのかもしれない。
 特に、ろう者の子どもたちが、そもそも手話を手話として認識していないらしいことや、「聴者」というものは何であるのか、分からない、というような指摘にはっとした。聴者は、聴者を中心として、ろう者を理解する。だが、中心を外れたところに置かれたろう者たちは、口をぱくぱくさせている子がいても、そこに聴者としてのコミュニケーションが成立しているのだということがよく分からない。少なくとも当初は、分からないのだ。考えてみれば当たり前のことである。音を聴かないのだから、手話を使わないコミュニケーションは分かりにくいはずである。ろう者の子どもたちからすれば、聴者は口をぱくぱく開けて何をしているのか、そこに音声というものがあって音により会話ができるのだ、ということを知るまでには、時間がかかりそうではないか。
 アメリカでは、ろう者が物売りという形で、いわば差別待遇されたあり方でいた歴史があるようだ。騙るというとまた違うだろうが、何かしら不正なやり方で、楽に金銭を稼ぐというようなイメージで見られていたことも多いのだという。
 お国柄というか、歴史や背景も違うので、また日本とは異なる状況の中にいるようであり、だから日本語訳にした場合もすんなり呑み込めないようなことがいろいろあるのではあるが、たとえばおならやゲップが他人に聞こえてしまうのかどうか、というレベルで考えさせてくれることになり、小さな何気ないことのようでも、悩みの原因になりうるようなことがいくらでもあるのだということも覚えた。
 やはり少しイメージしにくいような場面もあったが、今はそんな差別めいたものはない、などと言えるのであれば、幸いである。それは確かに、ろう者の立場が護られようと時代が移り変わる証拠なのであるから。




Takapan
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