本

『どんな論文でも書けてしまう技術』

ホンとの本

『どんな論文でも書けてしまう技術』
鷲田小弥太
言現舎
\1200+
2014.11.

 著作の多い元大学教授で、哲学の世界の方であるので、私にとっては読みやすい内容であった。タイトルはあまりに俗っぽいが、中身は必ずしも素人向けではない。かなり実際的な内容で、論文を正面から書く必要のある人でなけれは太刀打ち出来ないのではないかと思われる。読んでいくと、社内での必要なレポートのようなものにも対応できるかのようにも見えるところがあるが、概ね学士以上、へたをするとさらに上位の学位論文のためのアドバイスであるように見える。
 つまりは、論文が名刺代わりになるような立場の人々のための登竜門のようなところに挑む人にとってのハンドブックというわけである。
 論文のテーマの決め方は、この本以前のその人の研究課題であるかと思いきや、むしろ論文のテーマは後から決まる、というような爆弾発言もある。とにかく論文は何か必要があって書く関門のようなもので、自分の人生の課題や夢を温めておいてそれを形にする、というようなものではない、ということを思い知らせてくれる。それはそうだ。そもそもそこのところから考えを改めないと、論文という現代の必要事態を乗り越えていくことはできないだろう。意識を変えてくれる、実用的なアプローチである。その意味では、タイトルにあるように「どんな論文でも」が何のことであるのか、じわじわ分かってくるりというものである。何かの必要に応じて、どんなことでも書こうとしなければならなくなる可能性があるからである。
 資料でさえ、書き上がったころにまた集まってくるものだ、というような、実にありがちな点を的確に教えてくれる。型通り、こうしてああしてこれに気をつければ書ける、というような助言ではない。書き方でさえ、文章のこのような書き方に気をつけるとかいう点はもちろん触れられてはいるが、どうかすると、精神的な観点も多い。山登りの喩えなどを示して、実際に論文を試みたことがある人でなければ分からないような事柄もある。そして、論文発表の場についての具体的な情報も並んでいると、どうもこれは、元大学教授の世間話を聞いているかのような感覚に襲われてくる。
 そう、おそらくそうなのだ。これは大学教授と酒の席で、論文談義に花を咲かせているときの内容を、ひとまとめにしたようなものなのだ。著者の専門分野と体験における、若干の具体例があるほかは、どんな分野であろうと通用するような、確かに「論文が書けてしまう技術」であり、タイトルに嘘はない。しかし、サブタイトル的に「600枚の短文が書ければ……一冊書ける!」は、かなり前提を必要とするものである。これまでいくらかでも論文というものに手がけたことがあり、その都度うまくいかないとか、認められないとか、そんな悩みをもち、しかもまた次に書く必要がある、というようなタイプの人に、さらりと伝えられるようなアトバイスなのである。たとえ表紙に「1億人の知的生産講座」と掲げられているといっても、この本の指摘がすんなり受け止められるのは、実に限られた立場と経験のある人や学生などではないだろうか、と案じられるのだ。
 しかも、70を超えた年齢の方である。キーボードを利用し、その年代にしては比較的初期から電子入力に長けているとはいえ、世代的な理解や経験に基づいただけの記述もあり、必ずしも今の大学生がそのまま受け容れられる内容とは限らない。それが悪いとは思わない。だからこそ、これは論文談義なのである。その割には、実に得るところの多い談義である。聞かない手はない。 




Takapan
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