本

『歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり』

ホンとの本

『歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり』
蔀勇造
山川出版社
\729+
2004.10.

 この「世界史リブレット」(リブレットとは台本というような意味)というシリーズは、歴史を好む人々から愛されていることと思う。小さなブックレット形式で、ひとつのテーマについてコンパクトにまとめられている。必ずしも大きな業績を上げている一冊とはならないかもしれないが、実に豊富な資料を読者に提供してくれる。
 これは、歴史のひとつの項目という扱いをしていない、比較的珍しいタイトルである。そもそも「歴史」とは何か。「歴史」を記述するとはどのようなことか、そういった、歴史哲学に関するような内容を、歴史資料を通じて実証的に示すというものとなっている。
 私の動機は、もちろん聖書と歴史の関係であった。聖書を歴史的に見ることができる場合があるのはもちろんだが、歴史ではないという扱いを受ける部分もある。しかしその境界線は曖昧である。聖書だけがほぼ唯一の資料であるという事件もあるわけだ。だがまた、そもそも歴史というものをどう捉えているのかという点で、私たち現代人と同じだと考えてはならない。そうでないと、どうしてパウロという名で平気で他人が書簡を遺すということが当たり前に行われるのか、そうした背景も理解できなくなるだろう。
 このブックレットでは、歴史として文献が形作られるということ自体から検討が始まっている。口伝で終わる文化もあったはずである。また、書き遺したときにも、自らの政権を正当化するために過去を抹殺し、自分を神話的存在として描くことも、随所で行われており、またそうした心理が人間にあることを真正面から指摘することで、歴史認識の姿勢を質すことがなされている。また、インドのように、私たちから見ると歴史観そのものに関心を示さない文化すらあるのだというから、面白い。
 それは、時間意識に関与するという。歴史哲学は、時間論にも関係するのである。
 こうした事前の考察をした上で、具体的に中近東文明を探り、ヘブライズムとヘレニズムを取り上げ、最後に中国文明に目を移しているという具合である。
 繰り返すが、史料が豊富である。写真や図版が実に助かる。注釈もその場に別段をつくりゆったりと記すなど、読みやすく構成されており、教科書としての役割を十分に果たしているといえる。それでいて、史料としては一級であるし、文献案内もある。極端に専門的過ぎるものが並んでいるわけではないが、洋書も多く紹介されている。その気になれば、さらに深く広く追究できるように配慮されている。著者の思い込みだけで突っ走ることもありがちな新書に比べると、同等以下の価格でこれだけのものを提供しているということは、学ぶ者にとりありがたいことだ。
 知る人は知り活用しているが、もっと一般に知られてよいと思う。




Takapan
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