本

『宗教改革史』

ホンとの本

『宗教改革史』
ベイントン
出村彰訳
新教出版社
\1000+
1966.9.

 古典的な名著が、2017年に復刊された。価格は2800円+税である。読みやすく改版されたとはいうが、とくに中身が変わっている様子はない。「新版への訳者あとがき」が加わっている程度だろうか。
 19世紀末に生まれた著者は、神学校で教会史をおもに教えていたのだという。穏やかな方のようだが、驚くべきは、その著述が実にスムーズであることだ。
 妙な感情を沸き立たせるような口調ではなく、淡々と分かっている事実を、つまり歴史を語っていく。延々と文章が続くのではあるが、それは恰も教科書のようだ。いや、教科書としてこれを著したのであろう。一読して、物語や情況が実に適切に伝わってくる。私には真似ができない。それだけでも、本書は読むに値する。
 確かに、出版から半世紀を経て、その後の研究の進み方からすれば、修正するところがきっとあるのだろう。だが、当時にしてもこれは相当に進んだ研究結果であっただろうと思われ、通り一遍の宗教改革の歴史が綴られているわけではない。同じルターでも、問題により様々な顔を呈しているのだが、その問題毎に手際よくまとめられている。
 もちろん、ルターに偏りはしない。それはもちろん宗教改革史にとり重大な始まりともいえた。しかし、改革と呼んでよい事柄は、その前から始まっていたのだ。
 中世の風景が読者の心に浮かんでくる。そこに生活していた人は、何を見、何を感じ、どのような日々を送っていたのか。それに言及するとき、宗教改革というものが、まるで日本で幕府の内での権力争いのようなものばかり描いた歴史を読むような気持ちからではなく、実際に生きる人間の精神的な、そして社会的な営みの中で捉えられ始める。そしてまた、政治的権力が如何にこの事件を取扱い、利用し、また国や地域を混乱させたり人々の命を奪ったりしてきたか、ということもあからさまにされていく。領地全員が同じ宗教をとるという原則の中で、他派に厳しい扱いをするしないに拘わらず、一定のけじめはつけなければならず、そのような中でも、信仰の自由を認め、他地域への転居を許すなどの措置もとられていることを本書から知る。
 基本的人権などという概念がなかったであろうこの時代、人間のやってきたことは、その本性を露わにすることもある。どのようなリンチがなされ、酷い刑罰をしていたかも、実に淡々と語られる。何を信じるか、によってそのような目に遭わされてきたのだ。庶民はそれを避けるだけうが、一定の見解に立つ学者や政治的リーダーとなると、引っ込めるわけにもゆかないわけで、大きな業績を成した人も、残虐に殺されていった歴史が明らかにされる。目も心も背けたくなる事実に、私たちは直面する。それは、いまもありうること、少なくとも心の中ではやっていることではないか、とさえ思えてくる。
 王政による政治支配も、そうした事態に大きく関わっていることは間違いないが、ローマ教皇をも含め、人間的な思惑や策略が渦巻く中で、純粋に宗教的なところだけ見るとすると、よくぞこれだけまともに聖書が伝えられ信仰の歴史が続いてきたものかと驚愕する。これも摂理なのだろうか。人間が如何に愚かで、乱れつつも、神のことばは今日まで伝えられている。思えばそれこそが奇蹟ではないかと気づく。
 その意味では、古びることはないし、この宗教改革と呼ばれる出来事が、いまも進行中であり、その流れの中で私たちが立たされていることに思いを馳せることによって、一種の責任のようなものも考えさせてくれる。宗教改革はたんなる過去ではない。政治や経済がいま危機を迎えているとするならば、多様性を認めるようになりつつあるこの世界で、過去に起こったこのエポックを辿ることによって、新たな歴史への教訓とし、また指針とすることもできるのではないかと思えてならないのだ。
 私は古書で読ませて戴いた。いま新たな装丁で入手できる方は、それでお読みくださるとよい。嫌味もなく、著者の考えの押しつけ感もなく、学ぶためにもできるだけコンパクトに、だが実に深い本として、有意義な読書ができるだろうと思われる。




Takapan
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